前に『此頃十首』を作る。余情未だ不尽、更に『後十首』を作る。
二十年十月十二日夕
此頃ハ藤田東湖モ松陰モ
説ク人モナク聴ク人モナシ
此頃ハ東郷乃木モ禁物ゾ
軍国主義ノ標本トシテ
(中略)
此頃ノ役人共ハ哀レナリ
毛唐奴等ニコキ使ハレテ
此頃ハ日本民主主義ト云フ
鵺ノヤウナル看板が出タ
此頃ハ秋ノ夜長ニ夢ヲ見ル
日清日露戦役ノ事
此頃ハ世ヲ憚カリシ奴原ガ
自由主義者ト名乗リ出デッツ
此頃ハ四方ノ音ヅレ一様ニ
君ハ無事カト訊フ者バカリ
此頃ハ欲シキモノトテナカリケリ
鯛ノ茶漬ニ海老ノ天プラ
此頃ハ逢ヒタイ友ノ多ケレド
別ケテ逢ヒタイ新島先生
今朝の放送に、近衛が内大臣府出仕を命ぜられ、木戸と相談の上、憲法改正を為し、それ が枢密院議を経て、今度の臨時議会―十二月頃開催―に御提出あらせらるるという事を、報 道している。既に日本に陸海軍が存在せざる以上は、陸海軍の御統帥も、大元帥と申すこと も、必要はない事であるから、それだけでも、これ迄通りの憲法では、即ち第十一条「天皇 ハ陸海軍ヲ統帥ス」、第十二条「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」の条項などは、無 用に帰する訳である。しかし英国などでは、法律はそのまま存在せしめて、必要ない点は、 これを使用せずして置く例は、多くありと聞く。今日の所この二項が必要なければ、それを 使用せぬ迄にて、別に是非改正せねばならぬという訳は、あるまいと思うが、但し尚お別 に、所謂る民主制強化の為めに、憲法を改正するの要ありといえば、我れ復た何をかいわんやである。抑も帝国憲法は、明治天皇の欽定あらせられたる所で、我国として不磨の大典である。絶対に改正す可らずというではないが、決して容易に手を付くべきものではない、し かも近衛と木戸が評定し、咄嗟の間に枢密院の議を経て、これを臨時議会に提出するなどと いうは、余りに米国の意思を、迎合したる遣方である。しかしこれというのも、一切の禍源 は無条件降伏の一から出で来っている。今更何をかいわんやだ。
抑も現在で、社鼠城狐の 魁というべき者は、近衛と木戸である。この両人が内外相応 じ、表裏想相照らし、遂に主上を眩惑し奉り、以て今日を来したものである。若し世に君側 の姦というべきものがあらば、この両人が巨魁であらねばならぬ。初め東條の如きも、木戸 と結託していたが、何時の間にか木戸に売られて、遂に果かなき最期を遂げた。小磯も亦た 同様である。鈴木とは、木戸も終始歩調を一にしたと思わるるが、東久邇宮内閣の進退に際 しては、如何であったか。それは予が知る所ではない。何れにしても、彼は後漢の朝廷に於 ける十 常侍〔霊帝のとき、君側に仕え国政を専らにした十二人の宦官」の類で、実に虎の 威を借る狐である。彼れ程の奸物は、明治以来未だ曾て、その比を見ざる所である。しかる に天下を挙げて、彼に一指を触るる者も無く、衰龍の御袖に隠れて、勝手に威福を逞しくし つつあることは、実に恐れ入たる次第である。近衛に至っては、今更帝国憲法改正の御用係 りなぞという役目を働くべきものではない。彼は謹慎して、罪を待つべきものである。今日
に於てさえも、かかる間違ったる詮衡の、その道を誤まりつつあるは、何人も忠諫する者も 外 無く、君徳を神補する者の無い為めであろう。これを思えば、世は実に末世に近づきたりと、いわねばならぬ。
(昭和二十年十月十三日午前、双宜荘にて)
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