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二〇 敗戦の原因(一一)

頑蘇夢物語
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予は決して他を咎むるではない。唯だ自ら不明を愧ずるのみである。何やら一生を顧みて、全く 裏切られて、徒だ骨を折ったような気持ちがないでもない。予は官権に対して、民権論者であり、 貴族主義に対して、平民主義者であり。藩閥政治に対して、国民政治者であった。しかし藩閥政治 が漸く凋落して、民権論者が勝ちを制したる 暁 は、所謂る政党横暴の時代となった。せめて普通 選挙でも行い、政権が国民一般に分布せられたならば、国民の意思が盛り上がる事もあろうと考 え、普通選挙を主張したが、その結果は、投票売買の最悪なる買収政治となって来た。官僚政治 は、初めから予には禁物であって、虫が好かなかったが、しかも政党横暴の防波堤として、官僚も 亦た積極的には、役に立たぬが、消極的には役に立つべきかと考えたが、それも亦た立派に裏切ら れた。官僚と政党とは、やがては野合して、何とも名状し難き政治を打出した。これではとても物にはならぬ。最後の望みは、陸海軍と皇室と、而して政党官僚を除外したる、国民とに於て、即ち 昭和六年満洲事変を切っ掛けに、専ら軍に最後の望みを繋ぎ、爾来殆ど全力を挙げて、軍を支持し 来った。その結果が即ち現在の大東亜戦争である。若しここ迄日本を引っ張って来た事が、善い事 とすれば、功は軍に在り、悪い事とすれば罪は軍に在る。功罪倶に軍が任ずべきは当然であって、 奇くも軍人として、一通りの智能を具えたる者は、これを自覚すべきである。況やその軍の首脳部 に於てをやだ。しかるに今回の戦争に於ける、陸海軍の行動は如何。部分的にこれを観察すれば、 随分手柄もあったろう。感服すべき事も鮮なくなかったであろう。しかし総体的にこれをいえば、 何れも物にはなっていなかった。無責任で、不統一で、投げ遣りで、不能率で、同時に不熱心で、 不誠意で、凡そ有らゆる「不」の字を付け加えても、尚お足らぬ程である。

予は今ここに、大東亜戦争について、その戦略を論ずる者ではない。また戦術を批評する者では ない。それは軍事評論家に姑く任かせて置く。但だ彼等が、国民を裏切った事について、ここに一 言已むを得ざるものがある。最近十五年間、即ち昭和六年から昭和二十年迄、軍が殆ど日本の、指 導権ばかりでなく、支配権を握っていた。国民は皆な軍に追随して来た。彼等は、我等と同じく、 政党に失望した。また官僚に失望した。いざという時に、政党も官僚も、何等頼みになるものはな かった。彼等に任かせて置けば、国運は日々に嬉まり、国勢は日々に衰微し、国民生活さえも脅威せらるるに至る恐れがあった。折角明治天皇の御稜威によって獲得したるものも、意気地無く政党 や官僚の手で、殆ど他より奪い返されんとした。満洲でも、支那でも、太平洋の向う岸は固よりの 事、朝鮮さえも、優々問題を起していた。かかる場合に頼りとなるのは、軍ばかりであった。それ で国民は軍に縋り、軍を信じ、国家の運命を担うものは軍であると、軍を見込んで、自から軍を支 持するばかりでなく、何事も軍のいうままに一任した。世界ではこれを軍閥が日本を誤まったと称 するも、それは間違った観察である。誤まったのではない。日本を救済したのである。少くとも日 本国民はかく信じたのである。その為めに軍のいう通りに、殆ど白紙で軍に一任した。されば軍と しては、これだけの信頼に対して、充分の応酬をなさねばならぬ。しかるに彼等はこの大戦争に於 て、即ち国家の浮沈、生死存亡の瀬戸際に於て、果して国民の信頼を裏切る所はなかったか。国民 は決して口上のみで信頼したのではない。軍がかかる内閣が必要であるといえば、国民はそれを容 認した。軍がかかる予算が必要であるといえば、国民はまた一銭一厘も削減せずして、それを承諾 した。軍の為す所は、時として目に余る事があっても、見ぬ振りをして看過した。これは軍を怖れ ている為めではない。軍によって日本の国運を進展せんとした為めである。
これ程まで絶対無条件的の信頼を受けたる軍は、果して国民を裏切る所がなかったか。海軍に於 ては、山本聯合艦隊司令長官の如きは、死して元帥となり、その郷里では、神様として祀られてい る。されど海軍の破綻は、実に彼がミッドウェイ島作戦の一大失策が、その根本であるといっても、間違いあるまい。彼が死んだのは仕合せであった。もし彼が生きていたならば、彼は東條同様に国民の怨府となったかも知れぬ。曾て東條は、山本の死んだ時、山本は仕合せ者だといった。 今にして思えば、全くその通りである。

陸軍と海軍とは、日本のあらゆる富を分け取りして、殆ど国家の資源の、総てといわざる迄も、 その大部分を銘々の持ち物としていた。また彼等の望む所欲する所は、政府に於ても民間に於て も、何一つこれを、その意のままに通さない物はなかった。しかるに彼等は未だ曽て自己反省をし たことがなく、一切の責任を国民に帰していた。例えば飛行機が足らぬという。しかも彼等は飛行 機を造る人的物的あらゆる資源を、彼等の手の中に持っている。もし足らぬといえば、彼等の力が 足らぬのである。しかるにこれを、自分の事は棚に上げて、一切これを国民の不熱心、不能率、不 協力、不愛国に帰している。一事が万事、皆なその通りである。而して絶体絶命進退惟れ谷まる瀬 戸際まで、勝利勝利で国民を欺むき、引っ張って来た。而して愈々駄目という時になっては、一番 に弱音を吹いたのは、彼等である。而して国力が足らぬから、是非もないというた。もし初めか ら、国力が足らぬから是非もないといえば、何故に彼等は戦争を開始したか。それは敵から挑発し たと答うるであろうが、敵が挑発しても、負けるという事を知っていたら、戦争を避ける方法も、 あったかも知れぬ。勝つ時には、調子に乗って、陸海互に分捕功名の競争をなし、負けた時には、その責任を、陸軍は海軍になすりつけ、海軍は陸軍になすりつけ、それでも足らずに、総ての事を 国民になすりつけるという事は、実に厚顔無恥の極といわねばならぬ。
愈々絶対降伏となったならば、せめては平家の知盛、教経位の覚悟は、あっても然るべきである が、それは愚ろか、総てが皆な宗盛や維盛であっては、沙汰の限りである。せめて元帥とか大将と かいう連中には、恥を知る者があったら、皺腹でも掻切て死す可きであるが、陸軍で将官以上の自 決者は、阿南大将外数名、海軍では大将級は一人も無く、大西中将外数名を数うるに止まっている のは、ルに意外千万といわねばならぬ。

(昭和二十年九月十日午後、双宜荘にて)
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