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三一 天皇尊厳の冒潰と支配階級の幇間化

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この頃東京よりの来客あり、曰く、去る九月二十五日、天皇陛下には、紐育タイムズ新聞西太平洋支局長と、米国ユーナイテッド・プレス社長とに、前者は午前十時、後者には午後四時、同日に別々に謁見仰せつけられたという事であるが、日本の新聞では「謁見」と書いてあるが、米国記者側では「対話」の積りであったという事だ。何れ遠からずその記事は、彼方の新聞に出て来るであろうと語った。謁見にせよ、対話にせよ、それは予が関知する所ではない。彼等外国記者は、如何なる功徳があって、かかる殊遇を受けたか。本文の記者の如きは、十八歳以来新聞に従事し、多少なりとも君国の為めに、力を効したり、効さんと心がけている者である。しかるにこの開戦以来、あらゆる方法を以て拝謁を願い、しかもその目的は、新聞の特種を採るなぞというような考えでなく、些か赤誠を披瀝して、陛下の聖明を御補し奉らんとするの丹心であった。しかるにそれはすげなく却けられ、若くは顧みられずして、遂に今日に至った。自分は決して外国の記者を羨むでもなければ、焼餅を焼くでもない。ただ君国に尽さんとする誠が、不徹底に終った事を悲むまでである。

また昨夜から今朝―九月二十八日ーにかけての報道によれば、主上にはモーニング・コートとシルク・ハットで、霊南坂米国大使館に御出で遊ばされ、マッカーサー元帥を御訪問あらせられたという。明治天皇にも、前大統領グラント将軍を、延遼館に御訪問遊ばされた事もあって、別に不思議とも思わぬが、ただ今日これだけの御奮発を遊ばさるる程であったら6ば、大東亜戦争中に、二重橋以外に出御ましまし、親ら大本営を設けさせられ、恰かも明治天皇の広島に於けるが如き、御先例に則らせ給うたならば、如何程それが戦争に影響したか
という事を考え、洵に恐れ入った事ではあるが、遺憾千万といわねばならぬ。如何なる事も、その時を得なければ、役に立たぬばかりでなく、却て害となることさえもある。大東亜戦争は、総て着々その機を逸し去って、何一つシックリ調子の合ったことはなかった。今更考えて、死児の齢を数うるも同様であるが、遺憾千万である。しかるに陛下の側近に在て、若くは君徳輔弼の責任を持つ公職に在りながら、何一つその本職を尽さずして、事ここに至らしめ、外人が至尊に対話を申込むのも、平気で受け付け、至尊をして、答礼という意味ではなくして、御自身親ら進んで御訪問を、外国の一武人に向って為させ給うことを、知らぬ顔で傍観して居る彼等は、何の顔あって、我が七千万の国民を見んとするか。君辱かしめらるれば臣死すというが、彼等の内一人たりとも、死するだけの勇気の持合せない事は、洵に驚き入たる仕合せである。

日が暮るれば蝙蝠が出て飛び廻る如く、夜になれば鳥が鳴く如く、時局一変して、これ迄鳴りを静めたる、自由主義者とか、社会主義者とかが、時節到来といわんばかりに、時を得顔に、新政党とか、新団体とか、新会合とか、新組合とか、新組織とか、あらゆる部面に、口を出し、手を出し、足を出し、頭を出して来つつある事は、別に怪むに足らない。また咎むるに足らない。むしろ彼等としては、もっともなる次第というべきである。予は本来彼等の仲間ではないが、彼等には彼等の立場があることを、認めているから、彼等が如何なる事をすればとて、別にそれに対して、彼是れいわんと欲する者ではない。但だこの際一言禁ずる能わざるものがある。それは昨日迄は昨日の時勢に調子を合せて、宛かも熱心なる、純粋なる日本主義者であるが如く、皇室中心主義者であるが如く、言い且つ行ない、行ない且つ為しつつあった連中が、百八十度の転回を為し、恰かも役者の早変りの如く、急変して、また候自由主義者とか、社会主義者とかの間に立混り、奔走周旋しつつある事である。太鼓持ちとは、如何なる座席でも、座興を幇くるが商売であるから、座席の調子を見て、それに合わする事が商売である。けれども学者とか、識者とか、若くは論客とか、あるいは一般的支配階級とか、それぞれ目ぼしき位地を、世の中に占めたる、立派なる人々が、この幇間以上の振舞を為す事だけは、洵に以て見苦しき極みである。しかし世の中は、これ等の状態を平気で眺めて、昨日迄駄菓子を売った者が、今度は居酒屋となった程の相違を、認めない事は、社会の良心が、頗る麻痺しているものというても差支あるまい。かく申す予の如きは、従来の、日本主義者などといって、君徳輔弼などという事は、懼れ多いなぞという者とは、全く類を異にしている者である。また一君万民説を、徹頭徹尾主張したる者である。しかし君主国の日本を、米国流の民主国化するという事については、我等絶対に不可とする者であり、民主なぞという言葉は、一君万民の我国に於ては、決して口にすべきものではない。君が主である。臣はその君に従うものであり、君は頭であり、臣は頭に支配せらるる胴体である。民主といえば、民を頭とするものであるが、君を何処に置かんとするものであるか。一寸考えて見ても、直きに判かっているのである。しかるにかかる事を、平気で、君側は愚ろか、恐れながら雲の上辺に、口走るような事を聞くは、実以て心外千万である。天皇
に対して、殊更に命令という言葉を用い、若くは命令には、絶対に服従すべきという事を申聞け、質問は許さぬなどといい、やがては天皇を我が役所にまで喚び付くるというような事は、要するに日本国民の前に、天皇の尊厳を冒潰するものであって、日本国民の天皇に対する尊崇の心を、滅却せんとする手段に外ならざる事は、考うるまでもなく、判りきった事である。しかるにそれを当り前と考え、それを今日の時勢と考え、それに調子を合せ、その傾向の先き駆けをなさんとするが如き、日本人の存在する事は、泊に以て言語道断である。
自分は米国人に向って、何等申す事はない。彼等は敵である。敵が我に向って、敵意を挟むは当然である。敵が戦勝者の権利を、極端まで行使して、我を極端なる悲境に陥れんとするも、我としては喜ぶべき事でもなく、有難き事でもないが、致方なき事として、諦むるの外はない。しかし我が日本人が、その先棒となって、敵の虐意を助長し、日本撲滅の急先鋒となるが如きを眺めては、とても勘弁の出来るものではない。日本を亡ぼすものは、米人ではない。日本人である。予をして言わしむれば、米人が勝ったのではない。日本人が負けたのである。

何やら自分の言論は、日本人に向って八ツ当りをするが如くあるが、日本人が憎い為めに、かく言うではない。日本より外に、自分は愛するものはない。自分は生れて今日に至るまで、日本を我が恋人とし、生きて来た者である。日本の為めならば、命さえ惜しくはない。況や他の物をやである。自分は当初から、未だ曾て如何なる報酬をも、求めたることはない。日本が世界第一の、強く正しく、正しく強き国とさえなれば、それ以上の報酬はないと考えていた。しかるに今日に於ては、強く正しくもなく、正しく強くもなく、さりとて弱く正しくもなく、正しく弱くもなく、弱く且つ曲り、曲り且つ弱き国となりつつあるを見て、殆ど自分は日本から裏切られたような気持ちがする。これも決して空想ではない。一々最近四五年の間、不肖自分も世の中に交わって、自ら経験したる実績によって、かく断言るのである。せめて我が子孫たる者は、この現状を手本として、何とか今一度は、強く正しく、正しく且つ強き国と、日本を造り直す事を、努めるであろうという事を、縷の望みとして、ここにこれを記録して描く。

(昭和二十年九月二十八日午前、双宜荘にて)

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