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三○ 勝つべき戦争に自ら敗る

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ある人は、負けて定めし悔しかろうというが、正直の所、予が悔しいのは、単に負けたから悔しいというではない。勝つべき戦争を殊更に負けたから、悔しいというのである。また勝つだけの手当を尽さず、手順を経ず、大早計に、自分から無条件降伏を申出たから、悔しいのである。譬えばここに試合があるが、大抵試合は三番勝負と定まっている。しかるに今度の戦争は、真珠湾マレー沖、何れも緒戦には我が大勝利であった。それから追々旗色が悪くなったのである。しかし、最後の戦争、即ち三番勝負でいえば、三番目の取組だけは、まだ実行しないのである。自ら負けそうに考え、且つ自ら負けたと思って、勝負の判らぬ前に、こっちから参ったというのである。如何なる角力取でも、取組まぬ前に、後ろを見せた者はあるまい。その点から考えて見れば、日本人が戦敗を自覚せぬのも当然である。この事は屢々繰返したが、百回繰返しても、尚お足らない程である。

勝つべき戦争を殊更に負けたという事については、色々の入組たる理由もあるが、一口にいえば、日本全国の総力を発揮する機会が、遂に昭和十六年十二月八日より、昭和二十年八月十五日迄、一回も無かったからである。世界を殆ど敵としている大戦争に、この日本が総力を挙げて戦わないからには、勝つべき理由のある筈はない。総力を挙げていないということについては、畏れながら大元帥陛下も、殆どこの戦時中は、戦争には御関係があらせられないように、見受け奉った。畏れながら陛下の大元帥として御持ち遊ばさるる御稜威の、総てというではなく、大部分が二重橋の内に封じ込められていたことに恐察し奉る。自分がご:越を顧みず、やきもきしたのは、この事であったが、遂にそれは宮城を取巻く、所謂る社鼠城狐の為めに妨げられて、何の甲斐もなかった。この事についても、既に一通りは語ったが、重ねてここに特筆大書して置く。

また当然その力を発揮すべき陸軍と海軍とは、事実車の両輪、鳥の双翼ではなくして、全く両頭の蛇として始終した。即ち長き胴体の端と端に、首があって、一方の首が右に行かんとすれば、他方の首は左に行かんとし、一方の首が前に進まんとすれば、他方の首は後ろに退かんとし、互に綱引同様、力の限り根の限りを尽して、引き合った結果は、二進も三進も行かぬ事となったのである。かかる状態で、サイパン島も敵に奪われ、硫黄島も敵に奪われ、沖縄さえも奪われたのである。その他比律賓、ニューギニア、ソロモン海など、到る処で、その事は明白である。これは申しにくい事であるが、陸軍も海軍も、その相手は、敵よりもむしろ、陸軍は海軍を相手とし、海軍は陸軍を相手とし、互に睨み合い、競い合い、むしろ敵に利益を与えても、相手に利益を与うるな、という程ではなかったかも知れぬが、鹿を逐うの猟師は山を見ずで、縄張競争、職業競争の結果は、何も彼も打忘るるに至ったような事も、往々にしてあった。現にある方面では、陸海両軍が、互に打ち合いを初めんとした事さえあったという話だ。これではとても勝目のある筈はない。何れの場所でも、海陸軍のあつれき軋轢はある。第一世界戦争の時に、英国のガリポリ遠征の一大失敗も、要するに陸海軍が協調を欠いた為めであった。海軍が動かんとすれば、陸軍は頓着せず。陸軍が進まんとしても、海軍は援護せず。その極は大なる人間の墳墓を、ガリポリ半島に築き上げた。日本では、それが一所や二所ではなく、殆ど総ての所といっても、差支あるまい。何れが悪いとか、何れが善いという問題ではない。互に兵器の新発明、若くは製造という事さえも、機密を守って、これを知らしめず。相見ること敵国外患同様であった。これではとても鳥の双翼、車の両輪の働きが、出来よう筈はない。固より除外例の存することは、我等もよく承知している。中には提携してやった事もある。しかしそれは全くの除外例であって、陸軍国と海軍国とは、初めから終りに至るまで、全く別個の団体であって、協調よりも競争し、競争よりもむしろ互に相凌轢し、相妨害する事さえも、遅疑せざるように、第三者には見受けられた。若し仮りに海陸軍が、協調どころでなく、一元的首脳の下に活動したらば、必ず戦果の上に、異なりたる効果を齎らしたることは、誰しも疑う者はあるまい。

次には官僚である。この官僚という団体は、誠に困った団体であって、蜘蛛の巣の如く、日本全国を張り廻らしている。而してこの官界なるものは、他の社会とは全く別個の団体として、その間には同情もなければ、同感もなく、協力もなければ、一致もなく、まるで別世界の人間視している。それだけならばまだしもであるが、官界自身に於ても、縄張がある。その縄張が、各省毎にある。各省だけなら、それでもの事であるが、一省の各局毎にある。各局だけなら、まだしもであるが、各局の各課毎にある。即ち極めて微なる各省、各局、各課の縄張より、延いて官界一般の縄張に至るまで、真に蜘蛛の巣以上の網を張り廻してい以る。これでは動きのとれる筈はない。仕事の出来る筈はない。一切の仕組が、出来ぬように、出来あがっている。しかるに戦時という名義で、その機構の上に、更に新たなる機構を加え、機構と同時に新たなる人員を加え、従来二十の判で済む所が、戦時の為めに二十五とも三十ともなり、一体百人で済む役人が、あるいは百五十とも二百ともなるという事で、新たなる仕事さえ考え出せば、早速新たなる局課を設け、人員を増加するという事が、常識となっていて、遂に初めから終りまで、すったもんだで日を暮らして来た。これでは戦争に勝たんとしても、勝つべき事が、出来ぬ訳である。中には素早くその蜘蛛の巣を切り破って、勝手な働きをした者もあったろうが、それは極めて少数で、殆ど数うるに違あらない。

尚おまた民間に於ても同様である。民間の大なる金融会社、事業会社などというものは、何れも役所同様であって、銀行であろうが、新聞社であろうが、貿易販売の会社であろうが、重工業軽工業の製造会社であろうが、殆ど皆な官庁と同様の仕組となっていた。つまり、いえば官僚風は、軍部にも、実業界にも、あらゆる団体にも感染して、日本全国を挙げて、皆な縄張病となって来たのである。これではとても、全国民の総力を発揮する筈はな

(昭和二十年九月二十七日午後、双宜荘にて)

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