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七 自ら吾が愚に驚く

頑蘇夢物語
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耳を穿うて鈴を盗むという諺があるが、今日の事は、全くその通りである。国体擁護と降伏と を、全く交換条件として、国体の為めには、降伏などは決して高価ではない。むしろ降伏で国体擁 護を嵐ち得たのは、大なる手際であるかの如く吹聴しているが、安んぞ知らん、降伏そのものが、 既に日本国体を破壊し去ったものであって、降伏で国体を全うするなどという事の在り得る筈はな い。第一、天皇の主権は認めたと言うけれども、その主権は敵国の監視統制の下で認めたものであ って、条件付の主権である。天皇御自身が既にその神聖の位地を失い給い、無上絶対の位地を失い 給うた事になっている。第二は思想の自由という事を言い、また民主化という事を言っているが、 それでは教育勅語は、全く廃止同様になり了る。言い換うれば、尊皇愛国の教育思想に代うるに、 何を以てするかといえば、ソ聯の共産主義か、米国の民主主義か、二者であろう。共産主義と民主 主義が、我が国体と両立するや否やという事は、今更議論をする余地はない。即ち国体の本質たる 天皇政治を破壊して、何を以て国体を全うする事が出来るか。以上は唯だ大綱について語った迄で あるが、今度の降伏については、最近聞くところによれば、小磯内閣、鈴木内閣の二内閣を通じ て、盛んにその言が行われ、雲の上人と称する者や、所謂る敗戦思想者の巨魁ともいうべき者共が、青山の某所に毎々集会して、種々の陰謀を企らみ、恐らくは短波電波を以て、敵国とも彼是れ 内通したではあるまいかという噂も聞いている。またソ聯の越境なども、あるいは八百長ではなか ったかという説もある。予はこれを信ずる者ではない。如何に敗戦思想が充満しても、かかる叛逆 的行為さえも、敢てする如き事は、なかったであろうと思うが、かかる説さえも生ぜしむるに至り たる事は、如何に彼等が、九天の上九地の下、この事に努力したかが判知る。

およそ世の中に莫迦者がありとすれば、その最も大なる莫迦者の一人は、恐らくは予であろうと 思う。予は大東亜征戦の目的を完遂するの絶対必要よりして、天皇が国民に直接に接触遊ばされ、 天皇親征の実を顕現あらせられ給わん事を、あらゆる機会に論述し、切願し、上奏までも敢てした のである。而して思いきや、その事が実施の日は、即ち降伏の聖詔を、主上 御自身に御放送遊ば され、且つ御親裁の下に、その聖詔を奉行する後継内閣は出来した。要するに予が戦争完遂の最大 要件として提唱したるものは、戦争打切の武器として使用せられた。しかも戦争完遂を主張する者 は、その為めに詔勅違反とならざるを得ず。その為めに一切の主戦論者は、悉く封じ込まれ、降 服論者が錦旗を掲げて、主戦論者を全く屏息せしむるに至った。予自身から言えば、恰かも反対者 に向かって、最高の利器を提供した者といわねばならぬ。今更自ら顧みて苦笑の極みである。

予はまた鈴木老人より全く一杯喰わされた感がある。予は鈴木老人を深く知る者ではなかった。 いわば面識位に過ぎなかった。しかし去年の暮か本年の初めか、確かと記憶せぬが、ある人来り て、鈴木老人予を訪問して、供に国事を談じたいというが、差支あるまいか、という事であったか ら、固より差支あるべき筈はない。よって予は承諾した。予は鈴木老人とは、前に申す通り、面識 に過ぎなかったけれども、予の友人岩村海軍中将と鈴木老人とは、別懇の間柄であった。岩村團次 郎—後に俊武と改む―鈴木貫太郎、佐藤鐵太郎、(外に今一人居たが、その人は中途から海軍を去 ったから、今その名を記憶しない)この三人は團貫鐵といって、同級生中の親友であり、現に岩村 翁の喜寿の宴には、予と鈴木老人とは、顔を合せた事がある。鈴木内閣の出で来るや否や、世間で はバドリオ内閣という評判があったが、当時予に内閣顧問の内談があったから、予は固くこれを辞 わり、強いて勧められたから、この上は自ら出掛けて辞わる外はないと思い、親しく首相官邸に出 掛けて、老人と面談した。その時にも予は種々の意見を申述べたが、鈴木翁は最初から、戦争一本 で遣り抜くと言い、天下に向かっては『予の屍を乗り越えて進め』と言い、武田徳川三方ヶ原の戦 争を例にとって、『日本が頑張りさえすれば、負ける気遣いはない』と言った。それも一度や二度 の事ではなかった。それで予は閣僚の誰れ彼れは姑く描き、老人だけは誠実なる征戦完遂者であり と、最後迄確信していたが、その豹変の余りに鮮かなるを見て、漸く彼れも亦た陰謀団の仲間であ りという事に、気が付いた。しかし気が付いた時には既に遅かった。予は蔭ながら、鈴木内閣といわず、鈴木首相には同情を表し、及ばずながら予も微力を尽して、援助する積りであった。而して 心腹を披いて、言葉を以て、人を以て、書類を以て、優々意見を具申した。今から考えて見れば、 予は全く古狸に誑かされていたものであって、今更予が大莫迦者であるに気付き、自ら苦笑せざる を得ないのである。

(昭和二十年八月二十一日午前、双宜荘にて)
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