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六 皇室を戦争に超然たらしむ

頑蘇夢物語
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これは議論でない。事実である。どうも上層の人々は、皇室と国家もしくは国民とを別物と考え ているようだ。それで戦争中も、相成べくは皇室を、戦争の外に超然として、立たせ給うように、 取計うていた。皇室といえば、その中心たる天皇陛下については、尚更の事である。予は当初から の持論の通り、皇室が国家的大運動の原動力であらせ給うべく、ついては大東亜征戦に於ても、主 上 御自ら神武天皇、明治天皇の御先例に則らせ給わん事を、願望し奉った。ある時某海軍将校 で、某直宮に呢近している人の訪問に接し、予は懇々その事を語り、これを直宮殿下に申上げては 如何と相談した。その後某将校の語るところによれば、申上げたところ、それでは主上を戦争の渦
おぼしめし」 中に捲き込むの畏れがありというような思召にて、御取り上げなかったという事である。これは某 直宮様に限った事ではない。上層に於ける一般の空気がそれである。そこを敵もよく認めて、雲の上だけは、全く別物に取扱っていた。それを良い気にして、上層では、成べく成べく戦争以外に、 超然の態度を執らせ給うような方に、持って行いた事は、決して予が邪推ではなかった。

しかるに敵でも、従来の態度は甘ま過ぎると考え、むしろ威嚇するに若くなしと、その態度を一 変し、伊勢の神宮、熱田神宮、明治神宮などに爆弾を投じ、大宮御所、各宮殿下の御邸、やがては 宮城までも、あるいは全焼、あるいは半焼せしむるに至り、而して日本抹殺論を極端まで主張し た。予はかえって、これで幾らか上層側の迷夢も、醒め来たったであろうと考えていたが、成程こ れではやり切れぬ。むしろ国民と休戚を共にし給うの外はないという方角に、持って行くと思いの 外、かえってそれが為めに、総てとは言わぬが、上層のある部分には、降参の推進力となった事 は、是非もなき次第であった。しかしこれは国民一般にとっては、敵懷心に非常なる油を加え来た った為めに、日本抹殺論などは、皇室中心主義国たる日本に対しては、かえって逆効果を来たすも のとなる。むしろこれで日本国民を威嚇するよりも、日本国民の反抗心を強固ならしむる所以とな る。よってこの辺は改めて脚を加うべしとの論が出で来たった事は、今日より余り遠からぬ事で あり、殊に沖縄防攻戦前後から、米国ではその論が著しく指頭して来た。それらの意見によれば、 日本に対して、独逸以上に寛典を加うる必要以上に、日本人の敵懷心を挑発し、最後の一人までも 戦うというような気分を増長せしむるは、愚の骨頂である。よって日本人が何よりも大切と思う皇室などの問題には、余り触れない方が宜かろうという事となり、それが敵米の当局者にも、漸く容 れられんとする事になって来た。いわば最初の通りに、皇室は国民国家と区別して取扱うという事 であり、そこで上層では尚更その気分に感応し、有条件であろうが、無条件であろうが、皇室抹殺 さえ免かるれば、如何ようにも向うの申す通りで、早く戦争を片付けんと焦り出した。

戦争を片付けんと焦り出した事は、日本よりも敵側が甚だしかったが、その敵側の弱点を知るや 知らずや、それに頓着なく、お先真っ暗に降伏を取り急ぎたるは、如何にも笑止千万の事であっ た。ここに改めて断わって置くが、これは決して主上の思召とは信ぜられない。主上御自身には、 素より宣戦の詔 勅も発し給い、またその他議会開会に際しても、また将兵に対しても、その他時 時刻々戦争について、御関心の浅からぬ事を、我々草莽の野人も、江湖の遠きに在りて、敬承し奉 っているが、恐れながらこれは聖上御一己の事で、上層の雰囲気は、全くそれとは同一とは、考え られなかった。彼等は出来得る限り、聖上を戦争の外にといわんか、もしくは上にといわんか、超 然たらしむる事を以て、皇室の御安泰を確保する所以であり、従て皇室に忠勤を励む所以であると 考えていた。

自分は議論をするではない。唯だ事実を語るのである。想像を 逞 うするではない。唯だ事相を語るのである。彼等は対外戦争と対内政争との相違を認めなかった。例えば、政友会と民政党との 葛藤についても、皇室が超然たらしめ給う事は、当然の事である。何となれば、何れの党派も皆な 陛下の皇民であって、何れの党派も、皆な陛下に向かって、忠貞を効さんとする者である。至尊御 自身の思召は、何れを好み、何れを好ませ給わぬにせよ、その際に於て超然として、国論の響う所 を見て、御統裁遊ばさるるが当然である。明治天皇の如きも、天皇御自身には、必ずしも無色透明 と申上ぐる訳でなく、確乎たる御政見もあらせられたに相違はないが、しかし国論の需う所には、 深く聖意を留めさせ給い、決して御自身の好悪によりて、何れに向かっても、偏頗の御沙汰はなか った。しかしこれは対内的の政争であって、対外的には、陛下が自ら、所謂現在の言葉で言えば、 陣頭指揮を遊ばされたる事は、予の吸々を費やす迄もない。しかるに現在の上層の雰囲気は、対内 政争には動もすれば皇室を捲込まんとする傾向あるに拘らず、対外戦争には、全く超然たる態度を 執るに至ったのは、洵に言語道断の至りといわねばならぬ。この上層者というは、宮内官吏、所謂 元老重臣、華族もしくは富豪等、所謂支配者階級のある部分を称するものにして、それ等の中に は、部下の除外例はあるが、先ず概括してかくいう事が出来ると思う。

(昭和二十年八月二十日午後、双宜荘にて)
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