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一三 敗戦の原因(四)

頑蘇夢物語
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極めて端的に申上ぐれば、今上陛下は、戦争の上に超然として在ました事が、明治天皇の御実践 遊ばされた御先例と、異なりたる道を、御執り遊ばされたる事が、この戦争の中心点を欠いた主な る原因であったと拝察する。これについては輔弼の臣僚たる者共が、最も重大なる責任があること と信じている。恐れながら、予は客観的に、歴史家として、今上陛下について一言を試みて見たいと思う。決して尊厳を冒潰し奉る訳ではない。従来の歴史家が為したる通り、即ち勤皇の歴史家水 戸光圀や、頼襄〔山陽〕などが、当然使用したる同様の史筆を以て、ここにこの事を開陳する。
およそ個人としても、今上天皇ほど立派なる紳士は、臣下の中には見出すことは出来ぬ。喫煙し 給わず、飲酒し給わず、殊に異性に対しては、極めて純潔、しかも衣食にも別段御嗜みなきのみな らず、御食膳などは、半搗きとか、七分搗きとかということを承わる程で、全くピュリタン的の御生活である。ピュリタンさえも、とても及ばぬ程である。この一点から申上ぐれば、聖人と申上げ ても、過言ではあるまい。また御自身に田植を遊ばすとか、あるいは貝殻の御研究とか、粘菌の御 研究とか、博物的の御趣味もあり、その辺の御造詣も少なくないと承っている。また賢に任じて疑 わずと申すか、当局者以外であれば、何人の献言も御採り上げなく、総て当局者に御一任遊ばされ ている事などは、当局者としては、誰れしも感激していたことであろうと信ずる。しかしながら、 翻て考うるに、殊に日本の天皇としての、天皇学については、御幼少の時より、誰しも御教育 進らせたる者が無かったと覚えて、この点については、御曽祖父の孝明天皇や、殊に御祖父の明治 天皇とは、頗る趣を異にしていらせらるる様に拝察するは、我等の洵に痛嘆に勝えざる所である。 御輔導係として、東郷元帥や、または近代の近江聖人と呼ばれたる杉浦重剛先生などが、何事を御 輔導進らせたかということを考えて、甚だ遺憾に堪えないものがある。明治天皇は、天資御英邁で あらせられたが、天皇としての所謂る皇徳を玉成し進らするには、三條、岩倉、西郷、木戸、大久 保などは勿論、延いて伊藤、山縣の人々の外に、特に元田永字先生が、畢生の汗血を絞って、御輔 導申上げたることは、予の著述したる『元田先生進講録』を見ても、その一斑を察することが出来 る。かくの如くにして、初めて明治天皇は、前にも後にも、殆どその例を見ざる、維新中興の大業 を大成し給うたる天皇として、その皇徳を発揮し給うたのである。しかるにこの点に於ては、今上 天皇には、固より元田も居なければ、上記の諸臣も無い。折角皇太子として御洋行遊ばされても、単に英国流の紳士としての磨きをかけさせ給うたに過ぎない。英人リデル卿が回顧録を読めば、日 本の皇太子に陪して、ある塔に上った所、その下が墓地であった。その時皇太子は予に向って、グ レー云々の御話をせられたから、多分外務大臣グレー〔エドワード・グレイ Edward Grey] の事で あろうと考えていたところ、豆料らんや、それは田舎寺の墓地を詠じたる詩人グレー〔トーマス・ グレイ Thomas Grey, “An Elegy Written in a Country church-yard”] の事であったと、不思議そうに 書いているのを見たことがある。されば陛下の御智識は、詩人グレーの墓地の詩に迄及んでいる が、しかし英国の政治の真髄、即ちヴィクトリア女皇もしくはエドワード七世などが、君主は垂 拱して政治に関与せずという法語あるに拘らず、どしどし自己の所信を首相に訓諭し、殆ど首相を して悩殺し、忙殺し、困殺せしむるに至ったような事には、御見聞が及ばず、また輔導の面々も、 かかる事については、何も申上げなかったと思う。

陛下の御学問の筋は、如何なる方向であったかは知らぬが、清水澄博士などが、行政法の講義を 申上げたということを聞いているから、それは恰かも明治天皇に、加藤弘之博士がブルンチュリー の「国法汎論」を御講義申上げたと同様の訳であって、それが直ちに天皇学というようなものでは あるまいと思っている。ある時熊本県同人の会に、当時の内務大臣安達謙蔵氏が臨席し、最近静岡 の行幸に陪した際、主上が伊豆天城の某所で、粘菌を御採訪あり、親しく木に御攀じ遊ばされて、これを御採集遊ばされたなどと、恰かもそれを御聖徳として、我等に吹聴していたから、予はその 談話の済むや否や、直ちに起って、只今安達君の御話を承れば、誠に感銘に堪えぬ至りであるが、 但だ予自身としては、内務大臣たる安達君は、主上が親しく人民の疾苦を知ろし召され、地方の民 情を御採訪遊ばさるる事についての、話を承らんと期待したるに、粘菌御採訪の話では、全く驚き 入るの外はない。内務大臣として御啓沃申上ぐる事は、別に重大なるものがあるべき筈だ、といっ たところ、座中の文学博士宇野哲人氏が、一人手を叩いて、予の意見に賛成した。これは単に安達 氏に限った事ではない。海軍などでも、主上の御研究の資料として、航海毎に珍らしき貝藻などを 梱載し来ることが、殆ど常例であるという事も聞いていた。主上が博物学を御研究遊ばさるる事 も、フレデリッキ大王が、詩を作るやら、笛を吹くやらの事を嗜んだと同様、何等我等が彼是れ申 す可きではない。むしろ御道楽としては、極めて健全、極めて高尚、かつあるいは若干有益である かも知れない。しかし天皇としての御研究、御学問、御嗜好は、決してこれらのものに限ったもの ではなく、またこれらのものではない。必ず他に存するものがあるべきだ。しかるに何人もこの方 面について、啓沃し奉る者もなく、輔導し奉るものもなく、恐れながら只だ一個の善良なる紳士的 の教養のみを以て、足れりとしたことは、当初の御輔導係は勿論、輔弼の臣僚大官の罪は、万死に 当るといっても、決して過当ではあるまいと思う。

主上の御教養の結果は、日本的ではなく、むしろ外国的であり、恐らくは最も英国的であり、殊 に英国政体上の智識を、皮相的に注入申上げ、立憲君主とは、全く実際の政治には頓着なく、高処 の見物をし、当局者に御一任遊ばされ、当局者の申請する所によって、これを裁可遊ばされる事 が、天皇の御本務であるというように、思し召されたものであろう。これらの御教育が、最も御総 明なる御天稟をして、全く明治天皇とは対蹠的の御人格を陶冶し参らすることに至ったものと思 う。これは決して至尊に対して、彼是れ申上ぐる訳ではない。只だ御輔導の人々、輔弼の臣僚に向 って、我等が満腔の不満を、ここに言明して置く次第である。

(昭和二十年九月三日午前、双宜荘にて)
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