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五 毎日社長と会見

頑蘇夢物語
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十九日午前九時頃、毎日新聞社長奥村信太郎氏、社員井上小松及阿部甲府支局長を帯同し来た。 前日より予報あっての事で、定めて予が社賓辞退の件についてであろうと考えていたが、果してそ の通りであった。手短かに言えば、重役一同を代表し、再考を求むるという事であったが、予は曰 く、『別に貴社に対して不満があるでもなく、また新聞に愛想を尽かしたという訳でもない。本来 ならば、行くべきだけの道は、貴社の論壇に立って、任務を果したいと考えて居たが、今日では既 に行くべき道は、予にとっては全く杜絶した。予の意見を立て徹さんとすれば、正さしく勅語違背の罪人とならねばならぬ。さりとて予は、千思万考しても、降伏は今日に於て承知が出来ない。ま さか良心に咎める事を、世間体を繕うて曲 学阿世の真似をする事も出来ない。よってここが操狐 者の切り上げ時と考えて、十五日 聖上御放送了ると同時に、電報を貴社に発したが、途中より送 電不可能との事で、返却し来たから、特に塩崎氏を以て申し向けたる次第である。従来ならば、不 肖予の如きも、貴社にとって若干有益の存在であったかも知れぬ。しかし今日となりては、貴社に とっての予は、雷に無用の存在であるばかりでなく、恐らくは有害の存在であろう。さればこの際 予が去るは、予にとっても、貴社にとっても、当然過ぎる事であるから、枉げて予の存意を遂げさ せられたし』と言い、且つその事を貴紙の一端にも掲載願うと言った。奥村社長曰く『しからば先 生自ら筆を執らるるか如何』との事であったから、『予を社賓として迎えたる文も、貴下が草せら れたりという事であったから、その因縁を以て、貴下が自ら書いて呉れられたらば、予にとって は、本懐である。但し自分は、決して自責の念に駆られて罷めた訳でもなければ、唯だ感ずる所あ りという意味にて、簡短にあっさりと願いたきものである』と言った。なお多年の友誼に報いる為 めに、予の身辺に使用したる文具を、社長及び一行に分贈した。以上にて予の毎日社との関係も結 了し、同時に六十余年の新聞界との関係も結了した。

甚だ恐れ入たる事であるが、余りに意外であるから、ここに特筆して置く。十九日の午後のラジオにも、また二十日の朝のラジオにも、聖上は総理大臣東久邇宮殿下に、この際灯火管制などは速 かに全廃し、且つ娯楽館なども速かに開放し、なるべく国民をして、明朗なる生活を遂げしむべし との御沙汰あらせられたる由にて、それを殿下より閣議の席上に於て、披露あらせられ、閣議も愈 愈その通りに実行するに決した。洵に感激に堪えぬ次第であるという事を、繰返し巻返し放送して いる。成程、主上に於かせられては、我等臣民に対して、有難き御心より仰せ出だされたる事に相 違なきが、恐れながら我等臣民の気持ちは、全くこれに反している。実は主上より、この上は臥 薪嘗胆、一同大いにその力を内に養えという御沙汰を期待したるものであって、今更この場合娯楽 なぞの御沙汰を承るなどという事は、思いも寄らぬ事である。あるいはこれは世間の伝説通り、大 石内蔵助が、吉良家を欺く為めに、故らに遊蕩を事としたという意味と同一であり、いわば敵側の 猜疑心を予防する為めの思召であると、解釈する事も、満更ら不可能ではあるまいが、それにして も、別段かかる御沙汰は無くもがなと思う。況んや御沙汰通りの思召でありとすれば、尚更恐れ入 たる事ではあるが、国民の期待とは、全く相反している。この調子では、我が皇国も、やがては戦 争以前のフィリッピン同様となる事は、間違いあるまいと思う。洵に以て遺憾千万の事である。

かく申せば、我等は思召に反対する不忠不義の徒である如く申す者もあるであろうが、和気清麿 といい、菅原道真といい、楠木正成といい、また近くは伊藤〔博文]、山縣[有朋)などに於ても、屢々子孫の思召に反対して、御諫争申上げた事は、隠れもない事である。我等唯だ皇室の御為めと 考え、皇室中心主義を以て始終する者として、かく申上げるのである。恨むらくは、我等の位地が 江湖の遠きに在りて、親しく御諫争申上げる事が、不可能である事である。よってここにその一端 を書き留めて置く。

(昭和二十年八月二十日午前、双宜荘にて)

 

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