東久邇内閣を打倒したる二つの勢力は、マッカーサーと官僚である。先ずマッカーサーの 注文から語らんに、当初から東久邇内閣は、相当の覚悟を以て出で来ったるには相違がな い。しかしその注文が矢継ぎ早に出で来り、一の注文に応ぜんとするところに、次の注文が 出で、またその次の注文が出で、やがては一度に、即ち九月二十九日付を以て、洪水の如く やって来た。それは何かといえば、新聞言論その他に関する十二法令の撤廃である。更にそ れよりも驚くべき事は、十月四日、政治犯人全部の釈放、政治警察及び一切の類似機関の廃止、山崎内相及び全国警察首脳、即ち警保局長、警視総監、各府県警察部長、並に特高警察 等の罷免、国民の自由を束縛する一切の法律の廃止等を命令し来たった。(中略)
これでは如何に無恥厚顔の内閣でも、受け入れることは出来ないから、遂に辞職となった のである。今更この事についての議論を、真面目に試みんとする者ではない。只今―昭和二 十年十月八日|幣原内閣も、既に八九分通りは出来たようだが、この内閣とマッカーサーと の、取組が見ものである。
官僚が東久邇首相の思い通りに動かなかった事は、隠れもなき事実であって、今 て、アメリカ人などは、全く日本の官僚を莫迦にし切っている。それは恰かも嘉永 頃、ペルリやハリスが旧幕の奉行その他の役人共を莫迦にし切ったより以上の事である。そ れにつけても、東久邇首相宮が、九月二十九日首相官邸に於て、各省幹部官吏六十五名の入 庁式を行わせらるるに際し、訓示されたる要領がある。この要領は、恰かも現在の日本官僚 に向って、頂門の一針を与えられたるものと見て差支ないから、今ここにこれを掲げて置 く。その要領は、
第一に、官吏は陛下の官吏たる事を自覚し、一切の私を捨て、栄達を顧みず奉公すべきこ と。即ちこれを裏から見れば、現在の官僚は、全くその反対であるという事が判かる。彼等 は官吏たるものは、国家の公僕であり、至尊の為めに、国家の務めに服するという事を、全 く忘れている。ただ一個の職業意識のみで、立身出世さえすれば宜いと考えている。私欲私利を 逞 うすれば宜いと考えている。
第二は、官吏は官吏たる前に、先ず最も良き国民でなければならぬと、申されているが、 これもその反対であると、見てしかるべきだ。
第三は、執務に際しては、事勿れ主義を絶対に排し、責任を重んじ、大局的見地より事を 処することとある。ところが今日の官僚は、絶対に事勿れ主義であり、絶対に無責任であ り、絶対に大局を見渡さない。
第四には、官憲万能の官僚思想を排し、国家国民の幸福と進歩の為めに、奉仕すべき職分 を忘れぬこととあるが、彼等は爪の垢ほども、国家国民の幸福とか、進歩とかいう考えは持 たない。全く官権万能の官僚思想である。その為めに、一切の自己本位から、割出してい る。裁判官は裁判官本位で、人民が如何なる利害痛痒を感じているかに頓着しない。地方官 はまた地方官本位である。内務省などという所は、内務行政の本山であるが、ただ省内の縄 張を、全国中に張り散らして、役人共を立身出世さする為めの事に、没頭している。
第五、現実を遊離したる計画は、如何に立派でも、紙上計画である。国民の心理を洞察せ ねばならぬ、とあるが、役所の仕事は、全く現実を遊離している。それが大にしては、勝っ べき戦争を、敗北に導きたる、唯一とはいわぬが、最も大なる原因の一たらしめた。次に は、
第六、最も簡素にして、能率的に、仕事を進めること、とあるが、最も繁文鰐礼にして、 不能率にやっていることは、遂にマッカーサー等をして、東久邇内閣に、全く愛想をつかさしめるに至った、主なる原因であろう。この官僚の、国家本位でもなければ、国民本位でも なく、ただ官僚という職業意識によって、団結したるいわば一種の「ツレード・ユニオン」 のような団体が、国内に蟠かまり、遂に日本を喰い潰して、今日に至らしめたるものであっ て、若し韓非子の如き者をして、今日に在らしめば、所謂る官僚は「国霊」の 魁 に当るで あろう。彼等の在らん限り、到る処日本が、世界の表面に、再び頭首を撮げる事は、不可能 であろう。
かくいえばとて、我等は決して、官僚を讐敵と思う者ではない。官僚の中には、随分秀才 もある。今日世間でまた政党復帰を、アメリカ民主主義の名に便乗して、目論んでいる者が あるようだが、さてその政党で、これ迄物を言うて来た輩は、概ね皆な官僚あがりである。 政党屋で最も成功した二人は、政友会の原敬と、民政党の加藤高明である。しかるに彼等二 人は、紛れもない正直正銘の官僚である。その他若槻禮次郎、濱口雄幸、高橋是清、あるい は江木翼など、皆な官僚出身である。その他今日政党員の中堅所では、悉 くとはいわぬ が、官僚から政党に、横飛びに飛んだ者が、決して少なくない。官僚を個人々々に切離して 見れば、相当な者も居る。決して見縊ったものでもなければ、見捨てたものでもない。しか し何といっても、官僚という一つの砦の中に籠もっていて、その中から一歩でも踏み出すこ とが出来ず。その為めに、折角抜群の秀才も、ただ月給泥坊、恩給稼ぎに畢ることは、浸に 以て遺憾至極である。米国進駐軍の日本に来た事は、別に何も取り柄がないが、ただこの官僚の堅城鉄壁に向って、一撃を加えたる事は、傍観者にとっては、聊か痛快でないこともない。これ迄国民が、如何に哀訴嘆願しても、如何に悲鳴を挙げても、また如何に怒号叱咤し ても、ビクともしなかった官僚共が、米国進駐軍の差紙には、殆ど挙措を失うほど、周 章 狼狽しているのは、何たる醜態であるか。何れ幣原内閣も、亦た東久邇内閣の覆轍を繰返す であろうが、その際に幣原なる者は、如何なる方便を以て、これを切り抜けんとするか。こ れが今後の見ものであろう。
諺に、上の好む所下これより 甚 しきはなしというが、今日の場合に於て、日本の役人 は、支那の役人にも勝さりて、その官職を以て、私利私欲を逞しくする方便を講じている。 これは一の新聞に掲げられたる例であるが、かかる例は、決してこれに限ったことではな い。到る処にこれ有りだ。よって今ここに他日の参考の為めに、これを掲げて置く。
乗客を犬箱に押込め
剰え所持金強奪
山賊も顔負け、東京駅員の所業
終戦後の八月十五日から九月十三日にかけて東京駅の小荷物係の駅員九名が駅構内ホー ム、列車内で乗客の不審訊問を行った。不審と認めた者を小荷物係詰所に連行殴打等の暴行を加え、その所持金まで強奪したという悪辣な事件が発覚、丸之内署で取調べている。
この駅員は同駅小荷物係の加藤○○(三四)外八名でホームや列車内等で不審と認めた 者を八重洲口の小荷物係詰所に連行、身体検査の上所持金品等を調べ、尚疑問のある者や 反抗したり或はその態度を難詰した者は同詰所横の軍用犬輸送等に使用した犬箱(高さ三 尺幅四尺)の中に押込め翌朝まで不法監禁し殴打其他種々の折檻を加えた。三名に鼓膜破 裂その他の裂傷を負わせた。特に加藤などは十三日夜乗客の新潟県東頸城郡安塚村字安塚 石田 × × × さん(五○)を詰所に連行、所持品を調べ現金二千九百六十円を所持している のを不審とし、暴行傷害を加えた上、犬箱に監禁折檻を加えた末、無根の窃盗を自供させ 右の金二千九百六十円を強奪。被害者には全く覚えのないことだったが折檻に耐えかねて 正当な所持金を不正金であると虚偽の申立てを行い、漸く暴行から逃れたという。
(後略・「日本産業経済新聞」昭和二十年九月二十九日)
(昭和二十年十月八日午前、双宜荘にて)
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