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二八 看板の塗替

頑蘇夢物語
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何が驚ろいたかといえば、よくもかく手早く看板が塗替られたかと、驚くばかりである。昨日まで氷水屋であったのが、早くも既に焼芋屋となった位は当り前で、その変化の候急にして、且また手際の素早きこと、とても昔の天勝などが及ぶ所ではないと考えらるる。何が証拠といえば、新聞である。ラジオである。それによって現われたる一切の政治、社会、あらゆる現代の世相である。

日本人には中庸ということは、あるいは了解が出来ぬではあるまいかと思う。宛かも長き竿を立つる如く、右に倒れねば左に倒れ、前に倒れねば後ろに倒る。必ず一方に偏在する傾向がある。これは一種の国民的性格といっても差支あるまいが、それを外にして、殊に無条件降伏後の日本は、まるで魂の存在所を失うたようだ。日本人自ら日本人たる事を忘れ、日本人自ら日本国を見失なったような状態である。ここ迄徹底すれば、定めてアメリカ人も満足するであろうが、向うはまた向うの料簡で、まだ足らぬ、まだ足らぬと、一方では鞭撻すると同時に、他方ではお前等が芝居をしても、狂言をしても、瞞まされるものではない。左様な看板のみの塗替では、決して安心出来ないなぞと、大手搦手から攻め付けている。それにどぎまぎして、申訳やら弁解やらで、汗だくだくしている連中も、亦た気の毒千万といわねばならぬ。

自分は決して東條内閣の讃美者でもなければ、その時代の事に随喜した者でもない。論より証拠、自分の言論は、東條内閣の時に、あるいは削除せられ、あるいは没収せられ、自分としては、頗る遺憾至極であった。加之、自分の思惑と、東條内閣の遣口とは、極言すれば、天地の懸隔があったともいうことが出来る。しかし自分は、その為めに、大東亜戦争の目的が、間違っていたとも思わない。遣方は拙なくあったにせよ、これをやった動機は、決して間違っているものとは信じない。諺に坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというが、東條が下手をしたといって、その為めに東條内閣にまでケチをつけ、延いては明治維新の会誤にまで、ケチをつけるということは、以ての外の事と思う。

自分などは、国家主義全盛の頃は、殆ど異端といわなければ、異端に幾かき者として、取扱われていた。敬神の念が薄いとか、尊皇の情が淳くないとか、古事記通りの一切を金科玉条として、信仰しないとかいうような意味で、随分外道扱いをされたものである。正直の処、自分は各大臣の如く、任官すれば、如何なる急迫の国務をも擲って、先ず第一に伊勢の神宮、橿原神宮、桃山御陵、熱田神宮などに参拝することとし、さりとて辞職すれば、偶まには辞職を奉告する者もあるが、宛かも忘れたるが如き連中とは趣を異にし、実は手近き明治神宮参拝さえも、稀になす如き者である。また皇室に対しても、尊皇のみでは十分でない。愛皇でなければならぬという事を述べ、至尊を敬まうばかりでなく、至尊に親しみ奉らなければならぬという意見であった為めに、余りに至尊の神格化を少なくして、人格化を多くする者と見做されていたような事もあった。日本人は、一寸した言葉咎めをして、不敬罪とか冒潰とかいうような事を、所謂る重箱の隅を、楊枝でほじくるような事が好きである。青年会の集会で、宮城遥拝を怠ったなぞという事で、一大問題を起した事も聞いているが、
最近では飛でもなき世の中で、皇室の皇の字をいう者もなければ、国家の国の字をいう者もない。敬神とか愛国とかいうことは、何処に行ったやら、今はただ民主一色で塗潰している。総理大臣の幕僚として、公けにその資格を持っている人が、社会党組織の発起人とか、張本人とかいう事が、麗々しく新聞に掲げられているが、誰人もこれを怪む者がない。仮にかかる事が八月十五日以前に新聞で掲げられたら、大変な騒ぎを、世間に惹き起したであろうと思う。変れば変る世の中とは、誠にこの事である。自分は不肖ながら、環境の如何に頓着せず、自分だけの見識にて、自分だけの意見を持っている。世間が右に傾く時も、世間が左に傾く時も、自分は自分の信ずる所によって、力行して惑わざることを期する者である。その自分の眼から見れば、昨非今是、今非昨是、余りに世間の豹変に驚ろかざるを得ないものがある。

仮りに日本がアメリカに勝って、アメリカが日本に向って、無条件降伏を申込んだ時に、日本がアメリカに向って、共和制は宜しくないから、君主制にせよといったらば、アメリカ人は、御尤であるとそれを受け入るるであろうか。己れが欲する所、これを人に施こせという事は、それを裏からいえば、己れが欲せざる所は、人に施こす勿れという事である。耶蘇教国のアメリカが、耶蘇の教訓に反して、自分が厭やという事を、他国に施こすという事は、洵に意外千万である。戦さして負けたから、償金を出せという事なら、一応理窟もあるが、戦さして負けたから、皇室中心主義をやめて民主主義になれ、国家至上主義をやめて、個人主義になれという事は、余りに辻褄の合わぬ事ではないか。元来日本とアメリカとは、処変れば品変るで、人種も変れば言語も変り、人情風俗も変り、第一その歴史が全く異なったる系統に於て、互に歩いて来ている。しかるに三千年の歴史を持った日本に向って、遮二無二アメリカの国情、国体、国風、国俗の根本である民主制を押売せんとするのは、果して何故である。それは判かっている。日本が本来の国体を維持する時に於ては、必ず日本は再び旧との日本に、早いか晩いかは姑く措いて、立戻る機会がある。さる場合には、日本は必ず米国に向って、復讐をするであろう。その復讐が怖わい為めに、日本人を全く去勢せんが為めに、「デモクラシー」の押売をする訳である。日本が三千年の国体を捨て、米国流のデモクラシーを模倣し、物質的ばかりでなく、精神的にも、アメリカの属国とならぬ限りは、安心が出来ぬというのが、アメリカの底意である。しかるにそれを鵜呑にして、デモクラシーは日本を救済する万能丸の如く考え、民主主義さえ遵行すれば、日本人も生きて行くことが出来ると観念して、それを謳歌するその心底は、如何に落ちぶれたりとはいえ、余りにも浅ましき次第であると思う。

一体アメリカ人の、民主主義という事は、何を意味しているか。自分は彼等の根本精神は、我が特攻隊が、天皇陛下万歳を絶叫して、死を見ること帰するが如き状態を目撃し、速5かにこの禍根を根絶せざる以上は、危険千万と考え、それを根絶する方便として、民主主義を、日本に植え付けんとするものであって、本来日本の国体については、米国の何等関知す
る所でもなければ、干渉する所でもない。しかるに何よりもその一点を根本義として、そこにメスを加えんとするのは、彼等は皇室中心主義、天皇帰一主義を眼の敵とするが為めであり、それも政治哲学の上に於ける、議論の上からではなくして、現実の上にそれが日本精神の根源であるから、日本精神を払拭せんとするには、その根源を叩き壊わさねばならぬと、考えた為めであろう。米人でかく考えることは、その正不正、善不善の問題は姑く措き、必ずしも想像し得られない事ではない。但だ日本人が、これに雷同し、これに曲従し、これに詭随し、歴々の雲上の方々まで、これに唱和せらるることは、我等に於ては、百たび千たび考慮しても、その理由が解からない。

(昭和二十年九月二十六日午後、双宜荘にて)

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