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四六  『此頃十首』とニミッツ元帥の日本海軍批判

頑蘇夢物語
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 昨夜―昭和二十年十月十一日夜―停電にて、七時頃から枕に就いたが、枕上『此頃十首』 と題して、左の通り口占した。
此頃十首
此頃は朝じゃが芋に昼は蕎麦
夜はおじやに腹が膨るる
此頃は困り果てたる安普請
雨は雨漏り風に風洩る
此頃は郵便も来ず新聞も
二日つゞきて来ぬ日さへあり
此頃は長き来し方見返りて
頬杖つきつ日を暮らすなり
此頃はいやな役者が飛び出して
いやな芝居をするを眺むる
此頃は知らぬ存ぜぬばかりなり
誰れが戦さを初めたるやら
此頃は民主民主とわめき立て
野良犬さへもミンシューと吠ゆ
此頃は癪に障らぬものはなし
それを忍ぶもなほ療の種
此頃は亡き友達を思ひ出し
昔しのびて一人慰む
此頃は国の行末思ひやり
熱き涙の乾く間もなし。
 百歳の下、あるいは予が今日の心事を、諒とする者あらん。呵々。
 世間は、我が海軍の、真珠湾攻撃や、マレー沖奇襲で、天下をアッといわせたのを見て、 皇国海軍は全く無敵海軍であると、折紙をつけ最後まで殆どその通りに考えていた。予も亦 た多分に洩れず、その一人であったが、実は中途から聊か懐疑的になって、何やら心配に堪 えない事があった。曾て山本聯合艦隊司令長官が死んだ時に、当時の東條首相は、山本は仕 合せ者である、好い死場所を得たといったそうであるが、恐らくはその東條氏さえも、殆ど 自分が首相を罷める間際迄、海軍の真相は知らなかったものと察せらるる。最近新聞に、ニ ミッツ元帥が、十月六日新聞記者団と語ったという談話の要領を掲げている。これは戦争後 の今日であって、別に駆引ある談話ではなく、恐らくは当り前の事を、当り前に喋べったも のであろうが、我等日本人にとっては、最も重要なる文献といわねばならぬ。これが敵側か ら我が海軍を批判したるものであって、この批判は、全くとはいわぬが、殆ど当らざるも遠 からざるべしと思う。彼は曰く、
 「由来日本は海軍国であるから、日本は海軍力で、太平洋を支配すべきであった。若し日 本が、真珠湾の空襲に引続いて、ハワイに上陸作戦を行うたとしたらば、米国の太平洋岸 は、ハワイから攻撃されたかも知れない」
といっている。しかるに当時我国に於ては、真珠湾の空襲を好機として、ハワイに上陸する だけの、雄渾なる戦略が無かった。また曰く、
 「日本が米国の海上補給線に対する攻撃を、終始一貫して行わなかった事は、日本の最大 の誤りである」
と。これも当然の批判と思う。また曰く、
 「ミッドウェイ海戦は、日米大戦の転換期であった」
と。しかるにこのミッドウェイ海戦なるものは、日本国民の眼中には、殆ど反映せずして済 んだ。中には新聞の片隅に、一寸その噂らしいものも、出たかも知れぬが、この海戦が、そ れ程重大なものであるという事には、何人も気付かず。実をいえば、日本海軍が、日本国民 に、あるいは日本の陸軍にさえも、気付かないように、仕向けていた。しかしこれ以来海軍 のへまは、次から次に続出して、遂に最後は、日本海軍は、開店休業の姿であって、ただ海 軍の存在を、世界に広告したのは、特攻隊あるが為めであった。
ミッドウェー海戦が転換期
開戦半歳必勝確信
【ワシントン七日発SF=同盟】ニミッツ元帥は六日新聞記者団会見で次のように語った。 原子爆弾を使用せずともまたソ聯が参戦しなくても日本は本土を侵攻される前に降伏した に相違ない。以上の二つのものが出現しなければただ降伏の時期が少し位長引いたかも知 れないというだけだ、日本は弾薬を入れない砲弾のようなものだった。日本には成程大陸 軍力と非常に多くの飛行機があったが特に燃料とガソリンが非常に欠乏していた。また輸 送は非常な混乱状態にあり手持ちの資材をすら輸送することが出来なかった。戦争の終結 当時米国海軍の潜水艦は多数日本領海に行動していた。潜水艦は今年六月頃から日本の機 雷原を突破していたし、このことは日本と朝鮮の無制限交通は既に当時終っていたことを 意味するものだ。太平洋戦争で最も困難であった時期は開戦後六ヵ月間でこの当時海軍は 米国本土で海軍力が拡張されるのを首を長くして待っていたのであった。しかし六ヵ月が 経過した後には余は戦争の結果については少しも心配しなかった。作戦は巧みに計画され われくは目標に向って総てを投入した。珊瑚海海戦において米国海軍の実力が判明した ッドウェー海戦は大戦の転換期となった。 日本は米国の海上補給線に対する攻撃を終始一貫して行わなかったが、これが日本の最大 の誤りであった。由来日本は海軍国であるから日本は太平洋を海軍力で支配すべきであっ た。日本が真珠湾の空襲に引続いてハワイに上陸作戦を行ったとしたら米国の太平洋岸は ハワイから攻撃されたかも知れない。(「毎日新聞」昭和二十年十月十日)
(昭和二十年十月十二日午後、双宜荘にて)
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