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一七 敗戦の原因(八)

頑蘇夢物語
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近頃は日本の高位大官の人達は、国民に向って、荐りに日本が戦敗国である事を自覚せよと、国 民学校の先生が、生徒に申し聞かせる如く、申し聞かせている。しかしその人々は、これ迄「勝っ た勝った」と、国民を長い間引っ張って来た人達である。殊に本土決戦では、必ず敵を叩き潰すこ とは、尚お元兵を博多の沖や浜で叩き潰した同様である事を、固く保証していた。しかるに今日に なって、手の平を反えす如く、戦敗国たる事を認識せよとか、骨髄まで貫徹せよとかいっても、国 民に取っては、海に当惑千万である。固よりレイテを取られ、サイパンを取られ、硫黄島を取られ、沖縄迄も取られたる上は、日本軍が負けていたという事だけは、事実が証明している。しかし 当局は、九百九十九度敗軍しても、最後の一戦に勝てば、戦争の目的は達するといい、本土決戦が 即ちそれであるといっていた。しかるにその本土決戦を試みざる以前に、降参をしたとあっては、 国民にとっては、彼等の注文通り、戦敗国であるという事を、素直に合点する訳には参らぬのが当 然である。固よりアメリカの方からいえば、爾ういっても致方ないが、日本人自ら他の日本人に向 って、左様な教訓は、如何にも奇怪至極といわねばならぬ。角力の勝負というものは、双方土俵の 上で決すべきものである。しかるに角力溜りにいて、もう負けたといい、負けたことを自覚せよと いっても、それは無理の注文である。日本国民は順良なる国民であるから、如何なる無理無体で も、言えば素直に聴き容れると思うのは、余りに日本国民の忠直を濫用し過ぎるものといわねばな らぬ。
この頃当局では、余りに大早計に降参した為めに、所謂るそのてれかくしにてもあろう、頻りに 降参せねばならぬ理由を説明している。それには、持って来いの原子爆弾を、頻りに鬼の首同様、 大切に持ち廻っているが、それでも物足らぬと見えて、彼是れその理由を述べ立てている。今度の 第八十八議会は、畢竟その申訳をする為めに開いたものといっても、差支あるまい。本日首相東久 邇宮殿下の御演説も、専らその為めであるということを、ラジオは伝えている。これは未だ拝聴しないから、彼是れ申上ぐることは出来ぬが、ラジオでは、頻りに議員に向って、飛行機製造の増減 高を語り、これ迄秘密にした資料を、今度議員に夫々配付したということである。それによれば、 昨年の末に比して、今年七月頃は飛行機が月産三割に減じ、発動機が四割に減じたというような事 を語って、つまりそれが為めに降伏の已むなきに至ったという、申訳の一とする積りであるように 察せらるる。さてその飛行機は、何故に昨年に比して、かく減少したかといえば、それは敵の飛行 機の襲撃が、頻繁であった為めであることは勿論だ。さてその空襲の頻繁となって来たのは何故で あるか。遡てそれを質して見たいのである。当局者は、空襲は決して国を亡ぼすものではない。 空襲は多少の損害を与うるも、致命傷を与え得るものではない。それでサイパン取られても構わな い。レイテ取られても構わない。硫黄島取られても構わない。沖縄取られても構わない、という事 を揚言していた。しかるに我が飛行機や発動機の製造高を、降参せねばならぬ迄に、減少せしめた のは何であるか。敵の空爆である。敵の空爆は何れより来たか。それは前にいう方面から来たので ある。果して然らば敵をかくの如く、彼等のいう通りに、戦争が出来ない迄に至らしめたのは、彼 等自身その人々ではないか。今更ら何の面皮ありて、かかる申訳をなすことが出来よう。如何に彼 れも一時これも一時とはいいながら、前には飛行機の来襲も恐るるに足らず、飛行機の基地を敵に 渡すも恐るるに足らずといいつつ、今は敵の空襲の為めに、我が製造能率を低下せしめたが為め に、戦争は出来なくなって、降伏するの已むなきに至ったという申訳は、自分自から自分を弾劾する以外、何等の効用も無いものといわねばならぬ。如何に理窟は勝手次第に付け得るとしても、か かる理窟は、決して世の中に、通り得べきものではない。

(昭和二十年九月五日午前、双宜荘にて)
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