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一六 敗戦の原因(七)

頑蘇夢物語
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今上天皇に於かせられては、むしろ御自身を戦争の外に超然として、戦争そのものは、その当局 者に御一任遊ばされることが、立憲君主の本務であると、思し召されたのであろう。しかしこれが 全く敗北を招く一大原因となったということについては、恐らくは今日に於てさえも、御気付きないことと思う。これについて我等は、決して主上に向って彼是れ申上ぐるではないが、かく主上を 御導き申上げた人々に対しては、実に国家に対する一大謀叛であったという事を、断言するに憚ら ない。恐れながら主上は英国流の教育を受けさせられ、しかもそれがマンチェスター派であり、マ ンチェスター派そのものは、実際左様ではないが、世間からは、peace at any price派と呼ばれた る通りの教育を、受け給うたかの如くに拝察せらるる。その為めに陛下は、宣戦の布告はし給うて も、敵に対する闘志は極めて淡泊であらせられ、その結果は、所謂る宋襄の仁というような事にな ったのではあるまいかと思う。これも親しく承わった事ではないが、今日重臣の一人となっている 或人が、内閣組織の大命を拝するや、同時に親しく当人に向って、成べく他国と摩擦を生ぜぬ様に せよという勅 髭を賜わり、その結果として、日独交渉については、内閣で七十幾回とかの会議を 経て、遂に不得要領に了ったという事も聞いている。また予の友人に言論情報の局に在る者が、あ れでは困るというような思し召が、その上司に伝えられ、遂に彼は退職の已むなきに至ったという 事も聞いている。しかるにその男も、何故にかかる思召を蒙らねばならぬように立到ったかといえ ば、彼は余りに職務に熱心の余り、その職務に忠実の余り、普通の月並役人ばなれのしたる言論を したのである。即ち尊皇攘夷などという事を強調したのである。しかし戦時中に尊皇攘夷の論を唱 うるという事は、我等に取っては、むしろ当然過ぎる程当然で、御叡感こそ蒙るべきに、それが為 めに彼は失路の人となったという事は、泊に意外千万である。しかし以上の事は、事実であったか否かは知らない。何れにしても、左様な評判を承っている。 要するに、こちらの主張を強く言い張るとか、敵に対して強く当るとかいう事は、主上は御好みな く、何事も穏当に事勿れがしで、敵に対してさえも、出来得る限り手柔かにやることを、希望せら れたのではないかと思う。これらの点は、敵をも愛するという帝王の大徳とも申すべき訳にもなる が。それも時と場合で、自国が活きるか死ぬるかという場合に、かかる生緩るき叡慮では、将兵が
しばしば 如何に奮戦勇闘せんとするも、克わざるものである。されば陛下に向って、我等が度々大号令を下 し給い、鼓舞激励を与え給い、陛下御自身陣頭指揮の実を挙げさせ給うが、必勝の道であると、申 上げても、容易に御聴き容れのあるべきようはなかったであろうが。我等はそこが即ち至尊を諫争 し、縦令厳譴を蒙るとも、至尊の御天職を完うし給わんことに努力するが、所謂る臣道実践である と信じたからこの戦争の始終中を通じて、その事を正言し、直言したのである。

熟々開戦以来の御詔勅を奉読するに、宣戦の大詔にすら、その文句は動もすれば、申訳的であ り、弁疏的であり、従て消極的気分が勝っているようだ。況やその他に於てをやで。何れの文書を 奉読しても、その御気持ちが、到底最後の、降伏の詔勅を予想し、予定し、前知したるかの如き感 想を、起さしむるものあるは、あるいは我等の僻が目かも知らぬが、是非もなき次第である。要す るに戦争そのものが、至尊の好ませ給うところでなく、何れにしても、戦争を速かに切り上げる事のみに、診念あらせ給うたることは、草莽の我等にさえも、拝察し奉ることが出来る訳であって、 其処を敵は見抜いて、所謂る人を射らば先ず馬を射よ、賊を檎にせば先ず王を擲にせよと、杜甫が 言った通りに、敵国は至尊の平和主義に付け込み、至尊と直取引を開始したものとより外には、 察せらるる道は無い。彼等も最近二十年間、皇室中心主義が、日本に澎弾として行き渡り、皇室の 尊厳は、殆ど明治天皇の御時代よりも弥増し、弥栄かとなっていることであるから、その皇室を我 が物とし、皇室の力によって、一億の国民の首を圧さえる時には、何の苦もなく、何の面倒もな く、その目的が達せらるることを見定め、愈々其処に手を下したものと察せらるる。
それは今日マッカーサー等が、親しくいうところによっても、その消息を解することが出来る。 いわば彼等も、当初は皇室を抹殺せなければ、日本精神は抹殺することは出来ぬと考えて、正面か ら叩いて来たが、それよりもその皇室を味方に取り込み、これによって日本人を降伏せしめ、而し て後、日本精神を去勢し去る事が、近道であると考え付いて、その手段を択びたるものであろうと思う。而して恐れながら皇室をその手段に乗らしめたるのは、皇室御自身ではなく、所謂る君側の 姦が、これをここに到らしめたる事は、申す迄もない事であって、我等は如何なる事が、皇室の名 によって行わるとも、決して皇室に対して、彼是れ苦情がましき事を申すではないが、ただその君 側の姦に至っては、千載の公論必ず適当の罰を加うるであろうという事を疑わない。

要するに、我等が主張したる必勝の道は、敵に逆用せられて、必敗の道となった。我等は大元帥 の御親裁によって、勝利の確実なることを、天下に呼号するばかりでなく、総ての内閣にも進言 し、恐れながら上奏さえもしたのであるが。その至尊の御名によって、降伏が放送せられ、降伏の 御詔勅が発せられ、滞りなく降伏の文書が調印せられ、目出度し目出度しと、敵国側が、華紋の下 に乗り込んで、躍舞するを見物せねばならぬ事に到った事は、我等に取ては、白に意外といえば、 これ以上の意外は無い。今更ら自ら愚なるに驚くばかりである。

(昭和二十年九月四日午後、双宜荘にて)
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