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一八 敗戦の原因(九)

頑蘇夢物語
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只今第八十八臨時議会の開院式に於ける勅語を奉読した。これは平常の勅語に比すれば、極めて 意味多きものであるが、その意味について、我等不肖には、千思万考しても、領会し能わざる文句 がある。この勅語は、当然輔弼臣僚の手によって、起草せられたるものであろうと思うから、ある いは陛下の思召を、充分我等に領会せしめ得ざる恐れがあるのではないかとも思う。我等は決して 勅語に対して、彼是れ非難がましきことを申上ぐる訳ではない。唯だ疑の存する所をここに認ため て、天下の識者の詩えを、百歳の後に俟つこととする。――固より現時に於ては、かかる文書は、 公けにす可きではないから、敢て百歳の後というて置く。 取敢ずこの一点だけに縮めて描くが……

『朕ハ終戦二伴フ幾多ノ艱苦ヲ克服シ国体ノ精華ヲ発揮シテ信義ヲ世界二布キ平和国家ヲ確立シ テ人類ノ文化二寄与セムコトヲ翼 ヒ日夜戦念措カズ」

と宣い給うた。 第一の疑問は、今回の如き無条件降伏によって、果して国体の精華を発揮するや否やという事で ある。 第二の疑問は、今回の如き無条件降伏によって、信義を世界に布き得るや否やという事である。 また第三の疑問は、今回の如き無条件降伏によって、平和国家を確立し得べきや否やという事で ある。国体の精華なるものは、国家が完全なる独立、完全なる自主を全うして、始めてこれを発揮する ことが出来る。しかるに恐れながら、主上を初め奉り、聯合国進駐軍の総帥に、その全権を委ね、 その下に立って行動せねばならぬ場合に於て、果してこれを発揮し得べきや否や。一例を挙ぐれ ば、日本の国体は、皇室中心主義である。故に皇室中心主義によって、思想的にも、実動的にも、 日本国民が、その能力を行使し、その国運を進展せしむる事が、即ち国体の精華を発揮する所以で あると信ずる。しかるに皇室中心主義を棚の上に押上げ、民主国家を製造し、民主思想を鼓吹する 場合に於て、果してそれが国体の精華を発揮するという可きや否や。
また信義を世界に布くと仰せられているが、今回の絶対的降伏は、世界は愚か、信義を全国民に 失うた事であるは、事実そのものが 詳 かにこれを語っている。昨日といわず、八月十五日の十一 時五十九分迄は、一億玉砕、本土決戦、老若男女を問わず、義勇軍に列して、何れも決死の覚悟をしていたというよりも、むしろ上司から、かくすべしと命ぜられていた。いわば至尊の大命を遵奉 する政府当局からかく命ぜられていた。しかるに忽ちそれが無条件降伏となっては、一億の国民、 楽屋裡に在って平和工作に没頭したる、ある部分の者を除くの外は、何れもみな狐に撮ままれた思 いをした。我れ自ら我が耳を疑うた程である。更に与国は如何。満洲皇帝などは、予て一徳一心と いう信条によって、我が皇室に対し、一切の信頼と、一切の愛敬とを全注せしめられた。しかるに その皇帝を置いてきぼりにし、ソ聯に拘留せしむるに至っては、信義何処に在りや。ビルマのバー モウ、フィリッピンのラウレル、印度のチャンドラ・ボース、その他我等が名を知らぬ幾多の東亜 共栄圏内の人々には、果して前以て、日本が絶対的降伏をするという事を通牒して、その同意を得 たのであるか。いわば足弱の弟共は虎に食わせ、狼に食わせて、足の達者なる兄貴は、安全地帯に 遁げ伸びたというような状態では、果してそれが信義ということが出来るや否や。国民を裏切り、 亜細亜共栄圏内の人々を裏切り、而して信義を世界に布く事が出来得べきや否や。
またこれから平和国家を確立するという意味にて、『平和国家ヲ確立シテ』と仰せられたのであ ろうが、果して然らば、これ迄の日本は、平和国家でなかったか。平和国家でないとすれば侵略国 家であったか。それではスターリンが我国を罵って、侵略国家といった事を、正さしく裏書したも のといわねばならぬ。我々の考えでは、日本は開闢 以来平和国家であり、ただその平和は他力平 和でなく、自力平和の国家であった。自力平和の国家であるが為めに、その平和を妨害する、他の侵略者に対しては、これと闘争し来たったのである。
今や日本は、一兵寸鉄も帯びず、全くの丸腰国家となったのである。丸腰国家となった上は、自 力ではない。他力である。栄螺や田螺でさえも、自己の殻を持っている。しかるに日本は全く宿借 がに一 蟹の如きものであって、我れ自ら我を護る物は何も無い。これで平和とは誠に以て驚き入たる考え である。我々の見る所によれば、自らの平和を、自らの力を以て保つことなき国家なるものは、未だ曽てその存在を見ない。それが在ったとしても、それは決して完全なる国家ではない。属国か、 半属国か、あるいは四半属国かに過ぎない。脳たる瑞西でも、自衛の力だけは持っている。他人の 仁恵の下に国家は無いが、民族は存在するものもある。しかし、一億近き七、八千万の寄生虫的国 家というものは、恐らくは世界ありて以来、日本が破天荒であろう。かくの如き国家を確立するの が、平和国家を確立するものというべきや否や。またかくの如き寄生虫的国家を以てして、『人類 ノ文化二寄与』することが、出来得べきや否や。また『道義立国ノ皇誤二則リ』と仰せられたが、 これは仰せ迄もなく、その通りであらねばならぬ。しかしながら、如何なる道義も、これを行い得 る実力を伴わざる限りは、空々寂々で、何の役にも立つものではない。日本が他国の仁恵の下に呼 吸していながら、道義国家などと、道義立国などと、大きな顔をして、世界に対するは、余りに虫 のよき話ではないかと思う。我等は決して侵略主義でもなければ、武力主義でもない。ただ我が善 を行い、他の悪を懲らす為めには、実力の必要なる所以を感ずるものである。陸海軍の如きは、即ちその実力の総てとはいわぬが、全体を代表するものである。

(昭和二十年九月五日午後、双宜荘にて)
頑蘇夢物語
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