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二六 自嘲

頑蘇夢物語
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裏切るという言葉は、言葉そのものからさえ不愉快である。況や事実そのものに於てをやだ。自分の一生を顧るに、自ら人を裏切った覚えは、閻魔の庁に出ても、無い事を断言し得る。これに反して、我れ自ら我れを裏切った事の余りに沢山であるのに、驚かざるを得ない。人から裏切られるさえ面白からぬに、我れ自ら我れを裏切る事の面白からぬ事は、尚更である。誰れも好んで己れを裏切るものではあるまい。予と雖も、固よりその通りである。しかし自ら顧みて見れば、殆ど裏切られ通しに、八十三年の長き丁場を歩いて来た。これも自業自得であるから、誰れを咎むるということはない。ただ我れ自ら我れを嘲けるの外はない。即ち我れこそは、世界第一とはいわぬが、日本第一の大莫迦者であった。且つあるという事を、嘲るの外はない。

予は度々繰返した如く、横井小楠の学統に養われた者であって、倫理的政治の信者である。即ち『大学』の三綱領、八条目に掲げられたる通り、一身より一家に及び、一家より一国に及び、一国より天下に及び、倫理で一貫すべきものと信じていた。いうて見れば、身を修むる道を拡大すれば、家を斉むる道となり、家を斉むる道を拡大すれば、国を治むる道となり、国を治むる道を拡大すれば、天下を治むる道となることである。それで権謀術数、支那でいえば申韓刑名の道、また外国の所謂る『マキアベリズム』などというものは、全く異端邪説と信じていた。この信仰は、余をして、民権論者ではあったが、暴力を用うる革命論者には反対せしめた。国運拡張論者ではあったが、武力的拡張論には反対した。自然期せずして、英国ミル、グラッドストン、またマンチェスター派のコブデン、ブライトなぞの意見と一致する点があって、平民主義と平和主義とを以て、天下に呼号した。その現れが『将来之日本』であった。しかるに現実の世界に立入って見れば、自分決めに決めたる世の中とは、全く異りたる世の中を見出した。如何なる主義主張が、公明正大であっても、それを実行するには、背後の力の必要を認めざるを得なかった。マンチェスター派が、上品なる議論を、天下に公表して、差支なかったのは、その背後に英国海軍の一大勢力がある為めたる事
ようやさを、漸く暁った。いわば武力の裏付けある為めに、初めて平和主義が、物を言うことが出来た。若しコブデン、ブライトが、英国の議会壇上でなく、他の小国の議会壇上で、平和論を唱えたりとて、世間では乞食の慈善論と同一視し、物笑いの種とより外にはなるまいという事に気が付いた。その極所は、即ち日清戦役後の三国干渉であった。それで自分は、自ら余りに自分の考えが、単純すぎて、世の中の光明の一面のみを見て、暗黒の他面を看過した事に、漸く気が付いた。
予は当初から平民主義の信者であった。国家が国民によって立つという事については、また国民を除外して、国家の存立するべきものでないという事については、断じて疑を容れなかった。日本は君民一如の国家であって、仁徳天皇が、民富めば、即ち朕富むと仰せ給うた事は、洵に我が国体の真義を述べさせ給うたことであり、義は君臣、情は父子と、雄略天皇の詔勅にある事は、これ亦た日本国体の真相を、約説したるものと信じていた。それでその為めには、民権論を主張し、民権の敵である官権、その官権を壟断して居る薩長藩閥に向って、大に戦を挑んで来た。而して明治二十三年の議会が開け、所謂る政権が国民に分配せられて、これからこそ我等の理想世界が到来したりと思う間もなく、議会そのものが極めて醜態を暴露し、政党などというものは、国利民福を打忘れて、切取強盗の団体であるかの如き醜態を、臆面もなくさらけ出し、かくては憲法政治なるものは、煽動政治家や、人民を売物mにする破落戸の利器ではないかと、思わしむるに至った。
それで予は平民政治なるものは、果して如何にすれば、その名目通り、実行せられ得べきかという事を考え、むしろ政権を一般国民に分配し、普通選挙に若かずと考え、予自身は婦人参政権さえも、自ら主張はしなかったが、これを賛成するに遅疑しなかった。ところが愈々普通選挙が行われて見れば、これ迄腐敗は、卸売の問屋に止どまったところ、今度は全国津々浦々、腐敗の小売店が、繁昌するようになって来た。いわば普通選挙は、憲政の腐敗を、一層普通ならしむるに過ぎなかった。予は曾て大正十二年九月の関東大震火災に遭遇して、その実情に遭遇したが、これを見て、しみじみ所謂デモクラシーなるものは、良き監督者、良き指導者、良き訓戒者、良き案内者がなければ、駄目である。即ち伊太利のマジニーが、最善最智の指導の下に、総体を通じての、総体の進歩が、即ちデモクラシーの要諦であるということを、心から信ずることとなった。かくの如く、予が初恋ともいうべき平和主義からも裏切られ、平民主義からも裏切られ、別に誰れに向って苦情を言う訳ではないが、自分の考えが余りに単純過ぎたという事を、自ら嘲らざるを得なかった。

話換って、皇軍なるものは、大元帥陛下に直属し、政党でもなく、政派でもなく、藩閥でもなく、財閥でもなく、一切を挙げて君と国とに奉仕するものであると考え、この仲間だけは、いざという場合に、共に談ずるに足ると考えていた。彼等はその位地も保証せられて、濫りに奪わるることはない。彼等の生活は、富裕ということはないが、生活も亦た保証せられて、飢餓凍餃の懸念はない。いわばその一身も一家も、天皇陛下によって、保険付けられたる如きものである。勢い彼等は、清廉潔白で、身を以て君国に殉する以外に、他念のあるべき筈はなしと考えた。固より人間の事なれば、百人が百人、千人が千人、皆なその通りとは思わなかったが、概してその通りであろうと考えた。よって官僚や政党が、為さず、且つ為す能わざる事も、軍は必ずこれを為し得るであろうと考え、それに望を属していた。しかるに彼等は、悉くとはいわぬが、殆ど見掛け倒しである。全く予の期待を裏切った。その結果が即ちこの大東亜戦争である。この場合軍人の悪口をつくのも、感心したる話でないから、多く語らぬが、予はしみじみ失望した。彼等は実に無責任であり、不熱心であり、不忠実である。これだけ以上に付け加うる言葉はない。勿論政党の中にも、官僚の中にも、軍人の中にも、除外例はある。予はその除外例を認むるにばかでない。しかし概括して言えば、予は何れに向っても、自ら裏切られたるを、感知せざるを得ないのだ。しかしこれは決して彼等の罪ではない。彼等は本来その通りの者であったのだ。ただ予が欲目に彼等を買い被ったに過ぎない。それで彼等に喧嘩を持込むよりも、むしろ予が買い被った不明を、自ら嘲るの外はない。宛かも縁日の植木を買って、欣然携え帰り、我が机に飾っていたところ、その盆栽は根付きでなく、ただ枝をそのまま折って、鉢に挿込んで置いたものであったに過ぎない類である。縁日屋を咎むるよりも、むしろ縁日屋の為に、莫迦にせられた御客が笑止千万である。

予は三国干渉以来、熱心なる日英同盟の主張者であった。明治二十九年英国に遊んだのも、微力ではあるが、その下心を以て、彼れの現状を観察するに在った。しかるに日英同盟締結せられて、漸く双方相知り相識って、これから物になろうと思う矢先に、英国は日本首を切って、米国の軍門に降った。華府会議が即ちそれである。この時も自分は別に英国の裏切りを咎むるよりも、日本が余りに目出度かった事を、嘲らざるを得なかった。序に今一つ語るが、最近の日独伊同盟についても、予は熱心なる主張者であった。これも三国干渉の後に、英国との同盟が、日本にとって大切である如く、満洲事変以後は、勢い米英を相手とせねばならぬからには、独伊と結ぶは、必然の道である。しかるにこれもこちらの期待を裏切られた。伊太利はいうまでもなく、独逸も今少しやるだろうと思うたが、初め善く、中悪しく、第三幕目は、善悪の評さえ下すことが出来なかった。

予が皇室中心主義を主張したる事は、永き研究の結果であった。いわば歴史的研究と、予が及ばずながら長き政治的閲歴の上から帰納して、ここに帰着したのである。しかるにこの皇室中心主義さえ、最後に至っては、殆どその光を失うに至った。この事については詳しく語ることは憚かるが、兎に角予は皇室中心主義こそは、日本を永久に護持する主義であると確信していた。しかるに今や雲の上からさえも、民主主義などという事を宣伝せらるるに至った今日に於て、予はまた何をかいわんやである。かくの如く考えて来れば、予のこれ迄やって来た事は、悉く皆な失敗であり、悉く皆な裏切られていて、何一つ満足にその期待を果たし得たものはない。而して最後に、日本国民こそは、否やでも応でも、我が誇りである、我が頼みである、我が隠れ家であると考えていたが、その日本国民の現状は、如何にも気の毒千万である。泣くに泣かれず、怒るに怒られず、国家の誇りとか、国民の自尊心とか、三千年の歴史の光りとか、万国無二の国体とか、あらゆるものは、皆な穴のあいたるゴム足袋同様に捨て去って、顧みない状態である。何やら自分は、日本国民から裏切られたような気持ちがせずにはいられない。しかし如何に裏切られても、この日本国民だけは、手放したくない気持がする。

以上は頑張老人の熱に浮かされたる譜言である。何人も真面目に読む者もあるまい。しかし謡言は譜言として、言うからには、根も葉もない事を喋べったものではなく、予て肚の底に考えた事を、病熱に乗じて喋べり出したかも知れない。要するに、真面目に読むべきものでもなければ、真面目にその文句を捉えて、論議すべきものでない事だけは、改めてここに断わって置く。

(昭和二十年九月二十五日午後、双宜荘にて)

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