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三五 日本軍人と降伏

頑蘇夢物語
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陸軍海軍の元老ともいうべき人々、またその中堅ともいうべき人々は、如何なる心底を以 て、今日の状態を見ているか。彼等は最も年齢の若き者、最も位地の低き者を、十二分に、 若くは十五分に煽り立て、死地に就かしめた者である。しかるに彼等自身には、戦争が済ん だからとて、平気でいるは、如何なる意見であるか。中には海軍側では、大西〔滝治郎]中 将が自決したが、陸軍側では、未だその話を聞かない。陸軍側では、陸軍大臣が自決した が、海軍側では、今尚お平気である。双方共に拾い上げたらば、暁天の星の如く、若干は有 ろうが、洵に零 々たるものである。無条件降伏、武装解除などという事は、他国の軍人な らいざ知らず、日本の軍人としては、無上の恥辱である。従来日本の軍人には、降参がない という事が、原則になっていた。しかるに今度は、降参が原則となって、誰れ一人これを怪 しむ者はなく、加 之 今度はその軍隊が、武装を解除するばかりではない。軍そのものが 消滅するのである。神武天皇の御東征に随従したる、物部、大伴、佐伯等の祖先以来、昭和の現代に至って、初めて日本には、軍そのものが、絶対的に消滅したのである。これは軍人 としては、実に未だ曾て有らざる事件といわねばならぬ。しかるにこれを平気で見送り、依 然恩給生活を継続しているなどという事は、実に日本武人として、この上なき不面目の至り ではないか。
ほうじょうたかとき。

聯合軍も、上陸する以前は、定めて若干の事件を、予期したことであろう。しかるに余り に無事太平で、飛礫一つ聯合軍に向って、投げ付けた者がない現状を見ては、余りに日本の 軍人のおとなしきに、肝玉を抜かれたか。否、むしろ見掛けによらぬ野郎共であると、見縦 ったのであろう。この際生存しても、別段惜しき命でもない将官以上の人々は、申合せて一 堂に集まり、切腹でもしたら、せめて日本武人は、戦争は下手であったが、気骨だけは持っ ていたという事を、世界に証明せられたであろう。北條高時入道が鎌倉で切腹した時にさえ も、その一類二百八十三人は、我れ先にと腹切て、館に火をかけたという事がある。而して 尚おその周辺に腹を切たる一切を挙ぐれば、八百七十余人という事である。また斉の田横が 死んだ時に、同時に自ら首刎ねたる者が、二百余人あるという事である。しかるに我が 軍の滅亡に際し、これに殉ずる将官が、殆ど数うるに足らぬ程とあっては、昭和時代の陸海 軍大将以下は、高時入道の一類よりも、田横の客よりも、劣り果てたる臆病者といわれて も、申訳があるまい。

自分は陸軍の将官中で、最も感心しない一人が、杉山[元]元帥であった。この人は陸軍 のあらゆる要職に就き、あるいは軍政を司り、あるいは軍務を 掌 り、あるいは園外の任に 鷹り、あるいは戦争の機務に当り、殆ど蜜蜂の花から花に飛ぶ様に、陸軍のあらゆる要職を 飛び廻った。而して敗軍の将でありながら、罰をも受けず、元帥までにも立ち昇った。自分 は彼には面識さえも無い。しかし心窃かに、世間が彼を称して「ダラ幹」とか、「グータ ラ」とかいう事の、必ずしも不当でないと信じていた。しかるに彼は、その副官が「誠にお 立派である」と言った通り、四発までも短銃を射ち込んで、立派に死んだ。而してその夫人 も亦たその報を聞くや否や、立派に死んだ。この事だけで未だ必ずしも、杉山元帥に対する 評判が、一変したとはいわぬが、世間も実は意外に思った。意外というは、杉山としては、 出来が良かったという事である。これに反して東條大将は、世間は皆な誰よりも先きに、自 決するであろうと考えていた。しかるに彼は自決せず。しかも九月十一日、彼を米国側から 召喚に来るや否や、自決した。しかるに不幸にして急所を外れた。彼れの部屋には、白紙の 上に短刀が置いてあった。しかし彼は、切腹の法は知ているが、それで死せざる時は、失態 であるから、殊更にピストル自殺をしたと語った。しかるにそのピストルが、急所を外れた のである。杉山さえも四発放ったといえば、東條も今一発射つ位の、余裕はあってしかるべ きであるが、遂に一発で畢り、その為めに、彼を知らざる者は、東條は故らに急所を外し て、狂言をしたのである、などという濡衣を、彼に被するに至った。自分は東條とは面識が あるばかりでなく、若干知っている。人間であるから、欠点はあるとして、勇気だけは、誰れにも劣らぬ漢と考えていた。また一度決心したら、必ずそれを突き徹すだけの、徹底力あ る漢と考えていた。しかるに彼は米国の医者に治療せられ、米国の陸軍病院に移され、遂に 元の健康を取戻した。英国あたりでは、婦人さえも、婦人参政権運動の時には、獄庁に入 て、不食同盟をした事がある。東條程の男であれば、死のうと思えば、死することは、絶 対不可能とは言われまい。しかるに彼が食事をなし、入浴をなし、薬用をなしている事を見 れば、彼も亦た死する事を諦めたものと思う。初めから死なぬ積りで、敵の法廷に引出さ れ、堂々とその所信を陳述するも、亦た一の方法である。ただ彼が如く、その中間を彷徨し たる事は、少くとも杉山元帥に比して、頗る見劣りのする事を、遺憾とする。せめてこの上 は、自ら法廷に出て、立派な振舞をして貰いたいものと思う。

(昭和二十年十月六日午後、双宜荘にて)

(以下、省略)

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