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四〇 陸海将官の濱職、下級軍人の貪欲

頑蘇夢物語
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予は曾てソ聯の参戦や、原子爆弾は、全く敗北論者の、世間を瞞着する口実に過ぎず、こ S の二者が無きとしても、彼等は既に無条件降伏を、決心していたものと、判断していた事を、前にも幾度か記して置いた。しかるに今回偶然にも、米国月刊雑誌「コスモポリタン・
マガジン」の編輯次長ハリー・ブランデージ氏が、最近日本から帰国しての物語に、日本が 敗れたのは、原子爆弾でも、ソ聯の参戦でもない。日本の崩壊は既に決定的だった。日本は 原子爆弾とソ聯の参戦を、面目を維持する為めに、降伏の口実とした訳だと明言している。 少なくとも彼はこの一点に於ては、日本の真相をよく看破したものといわねばならぬ。今こ こに繰返す必要もないが、鈴木内閣は、その創立の時から、既に降伏内閣であった。ただそ の機会を待っていたのである。しかるに偶然にも、二つの好き口実が出来たから、急転直下 に、それが実行されたのに過ぎない。後の戦争史を編む者には、よくこの真相を心得て置く 必要があるから、改めてここに掲げて置く。

昔の支那人が、文臣銭を愛さず、武臣死を惜しまざれば、天下太平と申したが、不幸にし て我国の武臣は、死する事を、絶対に恐れるばかりでなく、金銭とか、その他の物欲を、貪 り愛する事が、最も甚だしくある。彼等が死を恐るる一件については、恰も五月五日節句の 武者人形の如く、大将中将少将、その上には元帥迄も、雛壇に飾りきれない程、飾られてい るが、その中で男らしく切腹した者とては、絶無僅有という程である。ここにその人名を挙 ぐれば気の毒であるが、例えば南方軍の板垣〔征四郎〕大将は如何。比律賓軍の山下 〔奉 文〕 大将は如何。また仏印に在る寺内〔寿一〕元帥は如何。これらの人々は、普通の出来合 の大将ではなく、何れも世間からは、特別の資格ある、日本人に於ける、模範的大将と仰がれたる人々である。しかるに今日迄、彼等は何事を為ているか。殊に山下大将の如きは、比 律賓全島の軍司令官として、自らもレイテは島だから、致方はないが、呂宋の大平野は以て 我が武を試みるに足ると、豪語した男である。しかるに野戦は愚ろか、大江山の酒顛童子で はないが、洞窟の中に隠れ、今度は戦争犯罪人として、しかもそれは、捕虜虐待事件の責任 者として、法廷に立つ事となった。今更彼が法廷に立って、何事を語るであろうか。むしろ 思い切て、死んで呉れたら、幾らか比律賓に於ける、皇軍失敗の最後の一頁を飾ることが出 来たろうにと、今更惜みても余りある事と思う。しかし今後当人が、如何なる事を目論んで いるか、先きは先きの事として、これ迄の事で判断すれば、洵につまらぬ事であると思う。

さて他方に於ての物欲であるが、およそ我が陸海軍の将官級の人で、恩給を貰って、その 上に民間事業会社の顧問とか、重役とか、あらゆる金儲けに関係していない者は、ないとは いわぬが、むしろ少ないというべきである。彼等は普通の商売人以上に、よく稼いでいる。 また現役の連中でもこの点では相当のものである。何時か軍需省の役人共が、帝国ホテル付 近の、有名なる支那料理屋で、直撃弾を喰らって、若干人爆死した。世間では、これを殉職 と謳い、多分葬式も、公式によりて鄭重に行われ、相当の手当を受けたであろうが、安んぞ 知らん、彼等は時節柄不相応の御馳走を食べつつ、御用商人と相談最中であったということ である。これらはホンの一例に過ぎない。戦争中、予の手許に、陸海軍官吏の濱職事件につ いては、少なからず報じて来た。かかる事件は、裁判所の問題としては、あるいは言い抜けが出来るかも知れない。抜け道は大抵作っているから、巧まく抜けるかも知れないが、十目 の見る所、十指の指さす所、決して誤魔化す訳には行かぬ。独逸で国民が、「ナチス」の党 より心を離したるは、「ナチス」党の幹部が贅沢をした。即ちその衣食住に奢ったという事 が、一の動機であったと聞いているが、我国に於ても、陸海軍官吏の濱職若くは准潰職に関 する、眼に余る振舞が、国民の心をして、戦争から離れしめ、これがまた敗北の一原因を作 った事は、決して疑を容れない。つまらぬ事ではあるが、ある軍港に於ける、ある海軍病院 の医官の家族が、その向う三軒両隣に比して、眼に余る贅沢を為したという事を、予に向っ て、予が全く未知の一女性より投書して来たことがあった。かかる事は、国家の大局より見 れば、殆ど歯牙にもかくるに足らぬような事であるが、しかし国民をして、陸海軍部に対す る、信頼の念を失わしめ、却て嫌悪の情を刺戟したることは、決して見遁すべき事ではない。

上の好む所下これより 甚 しきはなしで、陸海軍に関係ある下級者の贅沢、横暴、我儘、 貪欲等は、戦時中全く眼に余るものがあった。しかし戦時中は、かかることを発言すれば、 軍律に処せらるる心配があったから、誰れも彼れも、爪弾じきをなしつつ、黙まれ黙まれ で、黙まっていた。しかしそれは戦後の議会で爆発した。即ち東久邇宮内閣の劈頭、臨時議 会開催に際して、終戦と同時にあらゆる軍需品を、軍人軍属共が、勝手次第に山分けして、 銘々持ち帰ったという事が、大問題になって来た。この事は何処の里にもあった事であろうが、九州のある片田舎から、予の親戚が、予に与えた書簡の中には、復員したる兵士共が、 郷里に帰りたる状態は、支那の敗残兵にも劣り果てたる体たらくで、言語道断である、と申 して来た。これは地方の人民は、食うや食わずに困っているのに、帰って来た兵隊共は、桃 太郎が鬼ケ島より帰ったも同様、御土産沢山で、その為めに兵士に対する同情などは、全く 煙散霧消したという訳であろう。一般必ずしもこの通りというではないが、かかる例の多か ったことは、決して疑を容れない。十月六日の『日本産業経済』 には、「復員帰村工員の物 資持帰り各方面の反感甚し、何より供出に悪影響」と題し、種々の事実を列挙している。そ の中には、復員軍人の物資持参に反し、傷痍軍人及び戦死者遺家族の悲嘆は格別、一枚の毛 布たりとも、戦友の霊前に供する者もないので、軍に対する反感が強いといい、またある所 では、復員軍人が、相当数量の食糧、衣類、皮革類等を持参したるを目撃して、穀類の供出 に影響したりといっている。これは恐らく全国に於てであろう。兎に角軍は、必要以上にあ らゆる物資を取り込み、愈々終戦となれば、それを立派に返納するが当然であるのに、しか することをせず、宜い塩梅に、それを銘々が山分けして、その余瀝が、兵士に迄及んだもの であろう。兵士達こそ気の毒である。またここに一の例を挙げて置くが、某海軍主計中尉 は、部下兵曹長数名と結託、貯蔵中の某補給廠から、米千数百俵、その他大豆、饂飩、釘な どを、自動車で搬出、出入りの請負業者等には、米一俵千円前後で売り捌いたという事実
が、新聞に掲げてある(昭和二十年九月二十九日、読売報知)。かかる事は、何等珍らしく 少ない事であるが、偶々新聞に掲げられたるが為めに、彼は不幸にして、その網に引っかかったのであろう。また中には、所謂る公然たる泥坊とはいうことは出来ぬが、官物を贅沢に消費して、己れ等一味仲間の口腹を肥やしたる者に至っては、殆ど数うるに違なき程、あった ものと察せらるる。

これらの事は、何れの戦争にも、付纏った事であるが、その弊害があれば、片っ端からこ れを矯正し、罰すべきは罰し、正すべきは正し、懲すべきは懲して行くべきであるが、そこ は所謂る陸海軍では、仲間の面目という事を、間違った方向に過重視し、かかる事が世間に 暴露しては、皇国陸海軍の威信に関するなどと、飛んでもなき事に力瘤を入れ、却て罪人を 曲庇し、改むべきを改めず。速かに切断すれば、治療の途もあるが、それが為めに、病毒を 全身に蔓延せしむるに至った事は、泊に以て是非もなき次第といわねばならぬ。

(昭和二十年十月九日午前、双宜荘にて)

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