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一〇 敗戦の原因(一)

頑蘇夢物語
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今更敗戦の理由なぞということを詮議しても、死児の齢を数うると同様で、一寸考うれば、無益 のようだ。しかし若し日本国民が往生 寂滅せず、短かき時間であるか、長き時間であるか、後に は敢て大東亜征戦頃といわざる迄も、せめて明治中期頃の日本に立ち還り、若くは立ち還らんとす る希望が、全く消滅せざるに於ては、この詮議ほど大切なるものはない。殊に不肖予の如きは、こ の戦争の楽屋に在ったとはいわぬが、同時にまた聾桟敷の看客でもなかった。されば予が所謂る敗 戦の原因につき見聞し、観察し、感想し、研究し、且つ推測したる所を、忌憚なく語り置くこと は、雷に満腔の鬱憤を、この際吐き散らすというばかりでなく、また後昆に向って、大なる遺物を 残す所以であろうと信ずる。「大なる」というは、予自からの期待したる所であって、その実は、それ程役に立たぬかも知れない。しかしこれを役に立つるも、将た立たせないも、我等の子孫たる ものの、精神気魄の如何に因る。言い換うれば、彼等が日本精神さえ堅持して、失うなきに於て は、必ず大なる遺物として、彼等は受け取ってくれるであろうと信ずる。

近頃最も予の耳に響きたる戦敗の原因論としては、第一、東久邇首相宮が、戦敗の責は日本総国 民が負うべきものである。よって今日は総国民一大反省し、一大懺悔し、生れ変らねばならぬという御意見である。次には、陸軍中将石原莞爾氏が、敗戦は畢竟 日本総体の道徳が低下したる結果 である。よって今日は禊ぎし、一切の旧染を洗い浄めて、新規蒔き直しをやらねばならぬと、言う た事である。首相の宮としては、今日の御立場として、かく申さるる外はなく、また政策的にも、 かく申さるることが、極めて賢明であるかも知れぬ。また石原将軍は、聞く所によれば、満洲事変 の唯一の張本人ではないけれども、当時最もその事変の作者の一人というべく、唯一とはいわぬ が、主なる張本人の一たることは、間違いあるまい。それが、自然といわんか、必然といわんか、 その勢の推移するところ、今日に至ったことは、皆な人の認むるところ。但だ石原将軍は、支那事 変の頃から、軍そのものと意見を異にし、当初は冷淡な協力者であり、中頃は傍観者となり、やが ては痛烈なる批判者となった人であると聞く。その人がかかる意見を吐くのも、不思議ではあるま いが、予としては聊かそのまま受け取りにくきものがあると思う。

要するに両説共に、負けたのが悪いでなくして、悪いから負けたという点は、一致している。し かもその悪いのは、軍官民総てが悪いので、殆ど誰れ彼れの差別はないという点が、一致してい る。かくいえばいわれないこともあるまい。しかしそれは、いわば一種の観念説であって、机上の 空論たるに過ぎず。後世子孫にとっては、何等禅益する所はあるまいと思う。あるいは全く無いと はいわれまいが、それに幾かいと思う。語を換えていえば、失策をした時に、馬鹿とか鈍間とか叱 られたとて、何処が馬鹿であるか、何が鈍間であるかという事を、丁寧深切に語り聞かせねば、何 の役にも立たず、かえって反抗することになり、逆効果を来たす恐れがないとも限らぬ。今少しく 病源に立入り、打診をし、何故にこの病気は発生したか、如何にすればこの病気を全快することが 出来るか、というような方面について、考察もし、研究もし、将た説明もする必要があろうと思 う。予は決して自分の責任は棚に上げて、他を攻撃する積りではない。自から原告となって訴えん とするものでもなければ、被告となって弁ぜんとする者でもない。克うべくんば公正なる審判官の 位地に立って、何故に敗戦したるかについて、一通り意見を陳述して見たいと思う。しかしそれに は、科学的に秩序整然と語らんとするものではない。むしろ断片的に、思い出し引き出し語る積り であるから、これを物にするも、物にしないのも、聴く人の気持ち如何にあるということを、ここ に断わって置く。

(以下、省略)
(昭和二十年九月一日午後、双宜荘にて)
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