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頑蘇夢物語

一一 敗戦の原因(二)

昭和二十年九月二日、今日は愈々米国戦艦ミズーリ号上にて、聯合軍と日本代表者との降伏調印 の日である。これを前にして、重光外相は、懇々切々日本国民が、敗戦国民である事実を自覚せん ことを要望している。これは今度に限ったことでもなく、裏にも重光外相は、同様の言を為し、そ の為めに米国側では、流石に重光外相だと、讃辞を呈している。だが、我等はこれを聴いて、異様 に...
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一〇 敗戦の原因(一)

今更敗戦の理由なぞということを詮議しても、死児の齢を数うると同様で、一寸考うれば、無益 のようだ。しかし若し日本国民が往生 寂滅せず、短かき時間であるか、長き時間であるか、後に は敢て大東亜征戦頃といわざる迄も、せめて明治中期頃の日本に立ち還り、若くは立ち還らんとす る希望が、全く消滅せざるに於ては、この詮議ほど大切なるものはない。殊に不肖予の如きは、こ の...
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九 毎日新聞引退完了

さきに毎日新聞との関係を結了したと書いたが、それは自分側の考えで、相手側では、そう簡略 に行かず。尚お重役会議を開き、その決議を齎らし、高石会長が、八月二十六日大雨を冒し、阿部 賢一重役及び小松秘書を帯同し来た。予は当初何の為めに来たかを知らず。高石氏に向って、小話 の末、何ぞ御用談があるかと言ったところ、高石氏は、「実は本日重役会議の決議を齎らして、罷 り...
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八 自ら吾が愚に驚く(二)

いまその証拠として左の一通を掲ぐる。 (鈴木首相ニ与フルノ書) 鈴木首相閣下 日夕御尽菜真ニ感偏二勝へス。迂生モ年齢ニ於テハ閣下二一日ノ長アリ、仍テ老人ノ心理情態ハ 聊カ能ク之ヲ知ル。閣下ニ対スル同情ノ深厚ナルハ当然二候。 天下ノ大勢及 々 乎弊船二坐シテ大瀑布ヲ下ラントスルニ似タリ。之ヲ救済スルノ道只ター。天 ノ岩戸ヲ押シ開ラキ 至尊御出現一君万民ノ実ヲ御...
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七 自ら吾が愚に驚く

耳を穿うて鈴を盗むという諺があるが、今日の事は、全くその通りである。国体擁護と降伏と を、全く交換条件として、国体の為めには、降伏などは決して高価ではない。むしろ降伏で国体擁 護を嵐ち得たのは、大なる手際であるかの如く吹聴しているが、安んぞ知らん、降伏そのものが、 既に日本国体を破壊し去ったものであって、降伏で国体を全うするなどという事の在り得る筈はな い。...
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六 皇室を戦争に超然たらしむ

これは議論でない。事実である。どうも上層の人々は、皇室と国家もしくは国民とを別物と考え ているようだ。それで戦争中も、相成べくは皇室を、戦争の外に超然として、立たせ給うように、 取計うていた。皇室といえば、その中心たる天皇陛下については、尚更の事である。予は当初から の持論の通り、皇室が国家的大運動の原動力であらせ給うべく、ついては大東亜征戦に於ても、主 上...
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五 毎日社長と会見

十九日午前九時頃、毎日新聞社長奥村信太郎氏、社員井上小松及阿部甲府支局長を帯同し来た。 前日より予報あっての事で、定めて予が社賓辞退の件についてであろうと考えていたが、果してそ の通りであった。手短かに言えば、重役一同を代表し、再考を求むるという事であったが、予は曰 く、『別に貴社に対して不満があるでもなく、また新聞に愛想を尽かしたという訳でもない。本来 な...
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四 万世太平の真諦

根本的の間違いは、皇室、国家、国民この三者を切離して考える事である。外国では、君主は会 社の社長や重役の如く、他から聘うて来たこともあり、選挙することもあり、世襲であっても、勝 手に取換えることも出来る。いわば帽子である。また国家と国民も、自ら同一の場合もあれば、同 一ならざる場合もある。異りたる民族が集まって、一の国家を作為する場合もあれば、一の民族が他の...
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三 敗戦論者の筋書

元来今度の事件は、決して偶発に起こった事ではない。予 め敗戦論者共の陰謀によって仕組ま れたる狂言である。彼等は無条件降伏の理由としてソ聯の参戦、原子爆弾の使用を挙げている。し かしソ聯の参戦は、八月八日の通告によって、原子爆弾の使用は、八月六日の広島に於ける投下に よって、初めて出来したるもので、彼等が所謂和平運動なるものは、恐らくは東條内閣の頃からの 出...
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二  陛下の玉音を謹聴して

予は初めから、日本が愈々駄目とならば、ソ聯は必ず出で来ることと確信していた。それで沖縄で米国を撃ち攘えば、ソ聯も必ず急に日本に出かけて来ることはあるまい。むしろ沖縄でアメリカを撃ち攘った後には、此方から先手を打ってソ聯に交渉し、何とかその間に外交的調略の出来る余地があろうと考えていた。しかるに沖縄をみすみす米国に渡した上は、ソ聯も必ずやって来るに相違あるまい...
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一 敗戦空気濃化と予

昭和二十年八月十八日、即ち、今上天皇御放送の後三日目の朝書き始む。これは順序もなく、次第もなく、ただ予が現在の心境に徂徠(そらい)する事を、そのまま書き綴ることとする。 予は沖縄防攻戦に最も重きを措おき、その為めにあらゆる努力をした。しかるに当局は不幸にして、予の言を容いれず。遂ついに玉砕した。予はここに於おいて万事休すと考えた。そこで予はむしろこの際、自殺...
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徳富蘇峰ブログ『頑蘇夢物語』を始めます

山中湖村の地域資源を活かす会による「令和に学ぶ徳富蘇峰」事業のひとつとして、徳富蘇峰ブログを立ち上げます。蘇峰翁が終戦時の玉音放送があった昭和20年(1945年)8月15日から3日後の8月18日より『頑蘇夢物語』として日記を、山中湖畔の双宜荘にて綴り始めました。あれから74年。2019年令和元年同日より「徳富蘇峰ブログ」として同文の掲載をスタートさせる予定で...
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